Welcome to My World
ジョニーの自伝本が11日に発売になる。
それに先駆けてPEOPLE誌が記事を書いていて、当然、あちらこちらで話題になるのはジョニーがゲイであることを公言したこと。
ネットをチラチラと読んできたけれど、見るからにゲイだったので私を含めて驚ろかないって人が大半だった。
しかし、毎度おなじみの議論で私はうんざりするのだが、
有名人でゲイだったら、ゲイ・コミュニティのロールモデルになるべくカムアウトして活動せよ!というような論調だ。
余計なお世話。
本人がロールモデルとなれるよう努力しますというなら、それは本人の意思だから問題はない。
でも、他人がロールモデルになれって言うのはどういうことなんでしょう。
ジョニー本人は、"With people killing themselves and being scared into the closet, I hope that even just one person can gain strength from my story." と言っている。
たったひとりでも自分の話から力を得てくれれば良いと。
去年のオリンピックで自分の社会における位置、自分が声をあげるとメディアに取り上げてもらえる、それが良い結果をもたらせばいいなというだけではないだろうか。公言しましたアクティビストになります!なんてことではない。(もっとも公言するより以前に、実に自然体でコミュニティには顔を出して基金集めなどで貢献している)
本当は公言するのも、ジョニーの中ではどうでも良いことだったはず。セクシャリティだけで人を語ること事体がおかしいのだ。個人のセクシャリティについて語ることより、重要なことが社会にはたくさんあるし、話題にし議論すべきは、セクシャリティを差別していることなのだ。
平塚らいてうやヨーコ・オノは女性の為にロールモデルになろうとして生きてきた、生きているわけではないと思う。でも、なんらかの機会に彼女たちを知ることがあれば、力になることもある。
私がそうだった。
今、大人である私の言葉を使って語れば「ありのままの自分でいい」ということを、しっかりと示してくれた。
それにしても、自分を含めて、人はどれだけ、「●●すべき」とか「▲▲であるべき」とか、べきべきに囚われていることか。
ジョニーは「性的嗜好で言えば、僕はゲイだけど、いい女の人がいたら結婚してもいいな」と言ったものだから、また、ゲイ・コミュニティとやらが、「だから、ヤツはバイなんだ」「若い子を救いたいみたいなこと言ってるくせに、それはなんだ?」とか言っているようだけど、
「べきべき」をはずして自由に考えてみれば、そういう結婚もあって良いのではないだろうかと思えてくる。
長く生活を共にするなら、友だちみたいな人の方が上手に行く気もする。
人というのは単純なようで複雑なところがあるんだから、型に押し込めようとすることに無理がある。
もっと自由に考えた方が人にも自分にも優しくなれるし尊敬もできる。
頭が硬直化してきているから、これをもって自戒としよう。
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