domingo, 16 de outubro de 2011

Dear フランキー

 舞台はスコットランド。シングルマザーにおばあちゃん、9才の男の子フランキーの3人家族が活気のない港町に引っ越しをしてきた。そんな画面から始まる映画「Dear フランキー」。

 フランキーは耳が悪く、話すことが出来ない。しかし、学校でいじめられても、いじめっ子と逆に仲良しになれる男の子だ。そんなフランキーの楽しみは、記憶にない父親に手紙を書くこと。船に乗っている父親は世界各国から返事をくれる。でも、本当はママが私書箱で受け取って返事を書いていた。
 
 いくつものなぜ?を散りばめながら物語は進む。
 
 新しい町にも慣れた頃、ママにとっては困った事態が起きる。パパの乗っている船が町にやってくることになった。困ったママは一日だけの「パパ」を用意する。
 
 スコットランドの少年が父親に見て貰いたい自分の姿は何だろうか。 
 
 やはり、それはサッカーをしている姿なのだ。
 もともと運動が得意そうでもないフランキー。ゴールキーパーをしていても立っているだけ。だから、サッカーチームでも補欠に入れるかどうかもわからない。でも、パパが見てくれたら活躍できるかもしれないと手紙に書く。クラスメートはパパが来ない方にサッカー選手のカードを全部、賭けるという。ちょっぴりイジワルな友だちだけど、彼も本当はフランキーのパパが来てくれたらいいなと思っている。カードを全部ポケットに入れて練習に来ていたのだから。
 
 港町、フィッシュ&チップス、サッカー、ロマンチックなフォークソング・・・。派手なところが何一つない映画だけれど、人情が心に沁みる。ウソをウソだと咎めたりすることはない。誰だってウソをつきたくてついているわけじゃない。ママやおばあちゃん、ママの友だち、1日だけのパパ、そしてフランキーも多くを語らずとも、お互いの気持ちがわかっているのだ。
 
 まだ見ていない方は、秋の夜長に是非、「Dear フランキー」を。

 おまけ。「Great White Horse」はすてきな歌。

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domingo, 26 de setembro de 2010

潜水服は蝶の夢を見る

「サッカーと映画」というテーマで書くつもりだったのに、一回書いたきりであった。
気を取り直して、深い記憶の泉からくみ上げてみた。


 ある日突然、頭はちゃんと動いているのに体がビクとも動かなくなってしまったら、人はどうするのだろうか?物事を理解し、言葉を持ち、伝えたい気持ちがあるのに、すべてが自分の体の中に閉じ込められたままなのである。病名は「ロックト・インシンドローム(閉じ込め症候群)」。
 原作者ジャック・ドミニク・ボンビーが病に倒れたのは42歳だった。ファッション雑誌ELLEの編集長として人も羨むような生活を送っていたのに、一転して、友だちが直視することを拒む状態になってしまったのである。しかし、彼は言語療法士の手助けを得て一冊の本を出版した。言葉を綴る方法は、唯一動いていた左目の瞬きだ。その回数は20万回以上。気の遠くなるような作業である。
 作者の国、フランスは隣国のイタリアやスペインに比べるとサッカー熱の広がりは薄い。特に知的階級と言われている人たちはサッカーを蔑視しているところがある。けれど、作者はサッカー好きだったらしい。原作ではサラリと書かれている場面だが、映画ではジャックの身に起きたことを印象づける強いシーンとなっている。
 ジャックはベッドで身動きもせずにサッカー中継を見ていた。そこにやってきた看護士はジャックの視界を無頓着に遮る。そして、何も言わずにテレビのスイッチを消して立ち去っていった。ジャックはテレビを消さないでくれと伝えたかった。でも伝えられない。がっかりして頭に来ていることも言えない。
 サッカー好きとしては、ジャックのがっかりぶりに共感し思わずクスリと笑ってしまった。暗くなりがちな気持ちが一瞬、軽くなった。
 しかし、今、これを書いていて違うことを思った。
 ジャックはサッカー中継を見るという簡単なことすら出来なかったのである。そして、看護士がそうだったように、おそらく人は伝える術がない人間の意思を訊かない。社会に存在していないような扱いを受けたジャック。自分ならと考えると耐え難い。きっと毎日、死にたいと思うことだろう。
 でも、ジャックは、「もう自分を憐れむのをやめた」と生きて素晴らしい本を残した。

翻訳本はこちら。
映画のオフィシャルサイトはこちら。

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quinta-feira, 29 de abril de 2010

天国の口、終りの楽園。

洋画、特にラテン語圏のものを見ていると、サッカーを中心に描いた『ゴール』シリーズや『ベッカムに恋して』のような映画でなくとも、何気にサッカー絡みのシーンが良く出てくると思う。サッカーボールを蹴っている子たちが映るなんてのは日常茶飯事である。サッカーをサカナにちゃんと話が展開しているので、サッカー・ファンとしては、思わずニヤリとしたり声を出して笑ったりすることが多い。
日本と違ってサッカーが生活に根を下ろしていることが良くわかる。日本でもそういう映画が出来るようになるといいなと思う。100年かかるかな。

そういうあこがれを込めて、私が見た映画の記憶を漁ってみることにした。

第一弾は、2001年のメキシコ映画『天国の口、終りの楽園』。ガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナが世界的な俳優になるきっかけとなった作品だ。
詳細はこちら。

 口からでまかせだった「天国の口」というビーチが本当に存在していた!
 フリオとテノッチはその美しいビーチでボールを蹴って遊んでいる。その姿を遠景で捉えるカメラ。少し離れたところに立っている漁師のチュイが何やらブツブツ言っている。次第に声が聞こえてくるとサッカーの実況をしているのがわかる。ラジオの実況だ。「ラモスがパスを出した。サイドを駆け上がる。スタジアムは興奮の渦です!栄光のゴールを目指してシュートだ」などなど、事細かに試合の流れを実況中だ。いつの試合のことだろうか。チュイの頭の中には試合が完璧に描かれているかのようだ。
 しかし、フリオとテノッチがいつまでもボールを取り合っているのでチュイは言う。
 「ヘタクソ!シュートしろよ!」と。なんと、実況をしているだけだと思っていたら彼はゴールキーパーだったのだ。仕方なくテノッチがスローイン、フリオのヒールパスからテノッチがシュート!チュイは「シュートを打った!」と言いながら、飛んでくるボールを横っ飛びで見事にセーブする。
 しかし、実況はまだ続く。「ブラボー!!!!!!カンポス!!!!!!! カンポス!!!!!!」と大絶叫。その姿にフリオとテノッチは大笑い。そんなことをお構いなしで、チュイはニコニコ顔で「天才ゴールキーパー! 国民のヒーロー!」と実況を続ける。笑い続ける若者ふたり。チュイはふいに真面目な顔になり言う。「なんだよ?カンポスが嫌い?」。
 
 画面は、海を見つめるフリオとテノッチ、ルイサの後姿に切り替わる。
 
 チュイはカンポスがバカにされていると思っているのである。自分のおかしさが全然わかってない。なんとなくイヤな雰囲気になっていたところでこの映像。ふっと気持ちが緩くなって笑ってしまった。日本のフットサルコートあたりでも、こういうことをしている人っているのかな。いるかも、GKは暇だから。

 DVDの特典に監督とガエルの来日記者会見の模様が収録されていた。2002年のワールドカップの最中に来日したらしく、「メキシコは負けたってウワサがあるけど、違うから信じるな」とのっけから冗談を飛ばしていた。
 この映画の脚本はアルフォンソとカルロスのキュアロン兄弟が書いているのだが、弟のカルロスが「ルドとクルシ」の監督・脚本だ。つくづくサッカー好き。

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