domingo, 24 de fevereiro de 2013

先祖になる

「先祖になる」は、岩手県陸前高田市に住む佐藤直志さんを震災の数週間後から1年半追い続けたドキュメンタリー映画だ。

 直志さんは77歳。津波で消防団員だった長男を亡くし、家は半壊した。しかし、この老人はめげない。休耕田で稲作を始め、ガレキの残る土地にソバの種をまく。奥さんは仮設に住むというのに、一人、半壊した家に居続ける。そんな直志さんの夢は、家を建て直すことだ。きこりでもある直志さんはチェーンソーを手に、若いものを引きつれて山に入る。

 この映画を見て、直志さんの強さに感銘を受ける人は多いだろう。だが、直志さんは、悲壮感を漂わせているわけでもなく、声高に何かを主張しているわけでもない。その生き方は自然体である。土地に根ざし、自然に感謝をし、生活の中に信仰を見出している。人として生きるということは何なのか、海と山に囲まれた国、日本に住む人間の精神性とは何なのか、考えたくなる映画である。

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sábado, 3 de julho de 2010

ザ・ロード

 生きるとはどういうことか? 地球上のあらゆる生きものが死に絶え、太陽の光も届かない世界で、海を目指してひたすら歩き続ける父と息子。家族も友人も失い、着るものも食べるものもなく、人食いを恐れ、たったふたりで生きている。なぜ父は息子を連れて生きる道を選んだのか? 
 この映画の原作はコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」。これほど魂を揺さぶられる小説はめったにない。名前もない登場人物たちと少ない会話。オーストラリア人監督、ジョン・ヒルコートとアカデミー賞の撮影賞候補にも なったハビエル・アギーレサロベが小説の行間を見事に映画化した。
 なぜ、こんな世界になったのか?と原因は推測せずに観て貰いたい。この映画の本質は違うところにある。エンドロールが終わるまで席を立たずにしっかりと映画を見てほしい。

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segunda-feira, 14 de junho de 2010

世界最速のインディアン

 誰しも夢を持っている。いや、持っていたことがあるだろう。いつの間にか自分でも忘れてしまった夢。『世界最速のインディアン』で夢を持ち続ける素晴らしさと切なさを感じて欲しい。
 インディアンとはオートバイメーカーの名だ。1960年代後半を舞台に、ニュージーランド人、バート・ マンローの実話を元に制作された。
 バートは1920年式の「インディアン・スカウト」を40年かけて改良し続けている。夢はアメリカのボンヌヴィルで行われるレースで世界新記録を打ち立てることだ。
 倹約をしても渡航費用はなかなか貯まらない。その年の参加を諦めたバート。しかし、狭心症に襲われる。残された日々が少ないことを知りレースへの参加を決めた。バートは夢を叶えることができるのだろうか?
 現代社会では、この物語は御伽噺かもしれない。しかし、夢は叶うという気持ちが誰にでもあるから、心に残る作品となっているのではないだろうか。

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domingo, 16 de maio de 2010

扉をたたく人

 2001年9月11日の同時多発テロ以降、テロ対策と称し移民に厳しい締め付けを行っているアメリカ。『扉をたたく人』はそんな社会を背景に、大学教授ウォルターとシリア人タレクの出会いと別れを描いている。
 映画の前半では生きる気力をなくしているウォルターが、タレクに打楽器ジャンベの演奏を教わり、生き生きとしていく様子を描いている。しかし、タレクが不法滞在で逮捕されてから映画は厳しい現実を見せつける。だが、タレクを救うために行動するウォルターには、かつての無気力な姿はない。
 ウォルターの努力もむなしくタレクは本国に送還される。「生きて、音楽をやりたい」という普通の気持ちさえ受け付けない社会に怒りと悲しみを感ぜずにはいられない。しかし、ラストシーン、地下鉄のホームでジャンベを演奏するウォルターに希望を感じる。たったひとりとの出会いが人生を変えてくれる。

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quarta-feira, 28 de abril de 2010

千と千尋の神隠し

 2001年公開作品、『千と千尋の神隠し』は興行収入歴代1位の座を守り続けている。宮崎駿監督は「子供のための作品」と語っているが、子供だけではなく大人にも訴えるものがあったから観客動員数1位にもなったのだろう。
 どこにでもいるような10歳の少女、千尋の冒険物語だ。豚に変えられてしまった両親を救い元の世界に戻るため、湯屋を経営する湯婆婆のもとで働くことになる。
 スクリーンには八百万の神様やハク・釜爺・カオナシと強烈な個性の持ち主が次から次に登場する。しかし、このファンタジー溢れる世界は現実の鏡だ。食欲、金銭欲、権力欲など、人のあらゆる欲望が満ちている。
 公開当時、「生きる力を呼び醒ませ!」というキャッチコピーがあったが、大人も千尋の「生きる力」に感じるところがあったに違いない。絶望せずに生きること、そのためには自分の中に何を持っているべきなのか、宮崎駿は問いかけているように思う。

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quarta-feira, 14 de abril de 2010

恋愛小説家

 ニコルソンが演じるメルヴィン・ユドールは売れっ子の恋愛小説家。しかし、実際は偏屈で病的なまでの潔癖症。ゲイである隣人のサイモンにも毒舌を吐いて喧嘩を売っている。しかし、サイモンが入院してしまい、彼の愛犬ヴァーデルを預かるはめになる。嫌々、始めた世話だったが、次第にヴァーデルに愛情を持ち始めるメルヴィン。
 さらにヴァーデルがきっかけで、レストランのウエートレス、キャロル(ヘレン・ハント)と会話らしい会話をするようになる。キャロルは病弱な息子を抱えて働くシングル・マザー。メルヴィンはキャロルに惹かれ彼なりのアプローチをしてみるが、肝心なところで毒舌が災いを招く・・・。
 年を取ると人は誰もが多少は頑固になり素直になれなくなる時がある。ニコルソンとハントが複雑な大人の気持ちを見事に演じきって、アカデミー賞の主演男優賞と主演女優賞に輝いた1997年の映画。今見ても少しも色褪せていない。

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sexta-feira, 2 de abril de 2010

レスラー

 人生を不器用に生きることしか出来ない男、ランディ・“ザ・ラム”・ロビン。
 かつては人気プロレスラーとして大活躍をしていたが、今は、パートで生活費を稼ぎながら、客の入りが悪いプロレスの巡業を行っている。しかし、酷使し続けた体は悲鳴を上げ、ついには心臓発作で倒れる。激しい運動が出来なくなったランディは不承不承、引退を決意した。フルタイムで働き、疎遠になっていた娘とよりを戻し、お気に入りのストリッパーにも気持ちを打ち明ける。
 新しい人生を歩もうとするが、何もかもが上手く行かない。
 そんなランディが選んだ道は生きていることが実感できた場所に戻っていくことだった。
 ランディの人生は「お手本」になるようなものではない。しかし、彼は人の心に残る男になったのだ。
 又、この映画はランディ同様、輝かしい日々を一度は失った俳優、ミッキー・ロークが「再び立ち上がった」物語でもある。

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terça-feira, 23 de março de 2010

ローラーガールズ・ダイアリー

 自分が何をしたいのか分らないけれど何かが違うと感じるのが青春。
 テキサスの田舎町で暮らす17歳のブリスも、ビューティ・コンテストに熱を入れる母親の言うことを聞きながらも不満で一杯の日々を送っていた。ところが、ローラー・ダービーとの出会いがブリスの生活を一変させた。
 ローラー・ダービーは日本でもローラー・ゲームとして70年代にテレビ放送があったスポーツだ。10人1チームがローラー・スケートでリンクを周回し、得点役が追い抜く敵の数で勝負を決める。しかも、激しく体を当て相手チームを妨害しなければならない。母親好みのお上品なスポーツとは言い難い。
 ブリスは年齢を偽り、「ベーブ・ルースレス」としてデビューを果たすが・・・・・・。ブリスは両親の理解を得られるのか? 初恋の行方は?
 『JUNO ジュノ』のエミリー・ペイジ主演、『ローラーガールズ・ダイアリー』は5月公開予定。

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sexta-feira, 5 de março de 2010

ルドandクルシ

 『ルドandクルシ』でメキシコの2大俳優にして幼馴染同士のディエゴ・ルナとガエル・ガルシア・ベルナルが再び共演。バナナ園で働きながらアマチュア・レベルのサッカーをしている兄弟の物語だ。偶然、通りかかった代理人にスカウトされプロサッカー選手になる。兄ルドは超攻撃的ゴール・キーパーで所帯持ち。弟クルシはお調子者のフォワードだが夢はミュージシャン。別々のチームで活躍し人気者になるのだが、富と名声と落とし穴は一緒にやってくる。二人のジェットコースター人生はどうなるのか……。
 兄弟を取り巻く家族や代理人も良い味を出している。試合らしい試合のシーンもなければ、俳優の体型も普通だ。しかし、なんら違和感なく描かれていて素晴らしい。怪しい代理人のナレーションも興味深い。すべてを「サッカー」で語るのだ。サッカーから見た人生哲学が散りばめられている!と思うのはサッカーファンだからか。

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segunda-feira, 22 de fevereiro de 2010

かいじゅうたちのいるところ

 スパイク・ジョーンズ監督作品、『かいじゅうたちのいるところ』はベストセラー絵本の映画化だ。しかし、この映画はいわゆる子供向きの映画ではない。
 主人公のマックスは9歳。「手に負えない」暴れん坊だ。おまけに空想好き。マックスは母親と大喧嘩をして家を飛び出す。自らの意思で船を漕ぎ、嵐にも怯むことなく島に上陸。そこはかいじゅうたちが住む島だった。
 かいじゅうに食べられそうになったマックスは王様だと嘘をつく。かいじゅうたちの願いは王様の力で仲良く楽しい生活が送れるようになること。しかし、かいじゅうたちの性格は一筋縄では行かない。仲良くなるどころか益々バラバラになってしまう。
 私たちは気づく。かいじゅうたちはマックスであり、私たち自身の本能の写しなのだと。
 胸がキュンとなるような10代を思い出させてくれる映画はある。しかし、子供の胸のうちにある複雑な感情を思い出させてくれる映画は他にない。

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