quinta-feira, 10 de janeiro de 2019

父の死、そして

父が亡くなって1年2カ月が過ぎた。

享年90歳ということもあり、周囲の人たちからは「最後まで元気だったのだから」「天寿を全うした」「大往生ですね」などと言われたし、私自身もそういうものかなと思っていた。

入院したのが月曜日。その前の金曜日夜に掛かりつけのお医者さんから自宅に電話があった。父は自分のことは誰の手も借りず、一人でやっていたので、病院にも付き添いなしで行っていた。何と、入院を勧める先生の意見を蹴って家に帰ってきていたのだ。そして、それについては何も言わず、「食欲がない」と言いながら食卓についていた。「このままでは、朝、足が冷たくなっているってことになりますよ」とまで言われたのに、「それは望むところだ」と言い返して入院を拒否したそうだ。入院するように次回診察の水曜日までに説得してくださいというのがお医者さんの話だった。

しかし、日曜日の夜には血を吐き、月曜日朝には自分で立つこともできなくなったため、「救急車を呼ぶよ。いいね?」と言った。父は耳も遠いし、私の言っていることを理解していたか分からない。病院に行くぐらいに取っていたかもしれない。後で考えれば、なんとなくだまし討ちで入院させた気もする。

入院直後は、看護師さんと話をしていたが、私が病院に必要なものを買い揃えて戻った時には、完全に寝たきりの病人になっていた。医者曰く、「重症です」。はっきりとは言わないけれど、いつ亡くなってもおかしくないという意味だ。

そうは言われても、「尿の量が増えた」と言われれば、このままよくなって退院できるのではないか、その時の介護はどうすればいいのだろうかと考えたりしていた。

しかし、10日ちょっとの入院であっけなく亡くなった。

バタバタとお葬式の準備をしている時に父の手帳を見つけた。パラパラとめくると、そこには11月の予定が記入されていた。市の図書館で開催される「夏目漱石」のセミナーに毎週行く予定になっていたのだ。同窓会の予定も書き込まれていた。

そういえば、父が入院するときに持っていった本は夏目漱石に関する本だった。

父は生きる気満々だったのだ。死ぬ気はさらさらなかった。90歳だろうと、日々、生きていこうとしていたのだ。

悲しみを和らげるために、「天寿を全うしました」と言ったりするけれど、本人はさぞかし悔しかったのではないだろうかと思っている。「東京五輪までは頑張る」と友人たちに言っていたことも知った。

永遠に生き続けることはできないから、いつか「生きる」ということを止める日がくる。

若くして人が亡くなると、周囲は「●○さんの分も生きる」と言うが、実際に私は父が生きることができなかった日々を1年と少し生きてきた。父が知ることができなかった、鹿島の勝ち負けに一喜一憂し、母と二人で父が食べられなかった食事を美味しいと舌鼓をうち、大雪の日には雪かきをして、猛暑を乗り切ったのだ。

娘である私が還暦を迎え、人生も終盤戦。終わりが見えてきたと言った同級生もいた。10代20代の頃のように自由ではなく、時代の波に乗って楽しんでいた30代40代でもない。

母の介護もある。自分も若いときとは同じではない。生活は厳しい。でも、私は日々、生きていく。毎日、ちゃんと生きていく。生きる気満々だった父や、最後まで人のことを心配して、昨年11月に亡くなった友人が、生きることができなかった日々を生きていく。

| | Comments (0)

segunda-feira, 23 de julho de 2018

私のママは日本人…パパだったかな?

つい2日ほど前のことだ。

リサイクルショップでTシャツを見ていたら、
幼稚園児くらいの女の子が大人のTシャツを持って
試着室に入っていった。

ママが中にいるのかなと思ったら、
試着室のカーテンを開けて、
私に向かってニコっと笑うと「いらっしゃいませ」と言った。
中を見ると、シックなTシャツが鏡の前に立てかけてあった。

あまりにのかわいらしさにこちらの頬が緩んでしまう。

そうすると、「ママに似合うと思う」と、また、私に話しかけてきた。
おーそうかそうかと思いながら、
こういう時には何を言えばいいんだ!と
子育てしたことない私は焦る焦る!

お名前はなんていうの?とバカな質問をしてしまった。

「●×△子」と、答えてくれた。
さらに、続けて、
「ママはそこにいるの。ママは日本人」。

その女の子は、アフリカ系の血を引いていて、
クリクリの髪の毛を三つ編みにして
ツインテール?みたいにしていた。

そして、驚いたことに、「あ、パパだったかな」と言う。

私は意味が分からなかった。

ママは見るからに東洋人だから、
たとえば「パパはアメリカ人」とか
他の国の名前が出てくると思ったから。

私が不思議そうな顔をしたからかもしれない。

女の子は「おばちゃんの名前は?」と聞いたので
自分の名前を言うと、
私の名前と自分の名前を繰り返し話して
ニコニコしていた。

私も「名前がちょっと似てるよねー」とか、
また意味不明な対応…。

そうこうするうちに、
ママがやってきて私と女の子の会話は終わった。

私は買い物を済ませて電車に乗った。
そこで、ようやく、あっと思った。

私が質問もしないのに「ママは日本人」と言ったこと。

肌の色から、よく「なに人? どこの国?」と
聞かれているんだろう。
それで、お母さんに聞いたのかもしれない。

「日本人」という言葉は知っているから、
「日本人」と言うけれど、
幼稚園児くらいの子は「日本人」が何を指しているのか
おそらく、よく分かっていない。

だから、
「ママが日本人だったかな、パパだったかな」となったんだと思う。

小さな子どもに「ママは何人?とかパパはどこの国の人?」と
聞くことに意味があるのだろうか。

これは、すごく残酷なことではないか。
4才やそこらで、いちいち、
親が日本人と説明していかなければならないというのは
いったい、なんなんだろう。

好奇心があって質問するのかもしれない。
ただ、何も考えずに聞いているのかもしれない。

でも、他の子が聞かれないことを
あの女の子は質問されるのだ。
おそらく、しょっちゅう。

暗澹たる気持ちになった。

|

sexta-feira, 26 de agosto de 2016

夏の終わりに

コパ・アメリカからユーロ、ツール、
そしてオリンピックと見てきて
スポーツの夏が終わろうとしている。
(ブエルタ・ア・エスパーニャは
まだ2週間続くけれど…)

優れた能力を持つアスリートが
さらに努力を重ねて競い合う大会なので、
どれも見応え十分ではあり、
見る方も一喜一憂して楽しいのが
こういう大きな大会の面白さだ。

でも、大会が大きくなればなるほど、
いろんな事件が起きたり
様々な意見を耳にする。

あまりに多くのことが起きるから、
ユーロのフーリガン問題なんて
遠い記憶になってしまった。

書きたいというか、頭の中を
整理したいことは多々あるけれど、
ここで、ひとつだけ書き留めておこう。

数年後には
考えが変わっているかもしれないけど。

通訳ボランティアのことである。

リオ五輪の日本語を担当する通訳ボランティアが
不足していて、東京外大の学生が
ボランティアに行くという毎日新聞の記事だった。

この記事にプロの通訳者の方々が、
こんな重要な仕事を無料で、
しかもアマチュアにやらせるとはどういうことかと
かなり激怒していたのである。

ボランティアだし、たとえば公式の記者会見や
ミックスゾーンを担当することはないだろうと
私は思っていた。
仕事内容もこの記事からだけで
断言してしまうのはどうなのかと思っていた。

ところがどっこい、参加したボランティアの方のブログを読むと
ミックスゾーンの通訳を担当していたようである。

そうなると、当然、能力の差が出て
大変だったことは想像できる。
実際に、事前の準備が足りず
大変だったというボランティア通訳者の声が
記事になったりして、またもや、
「なぜ? 通訳がボランティア!?」という声が挙がった。

確かに、担当の競技の知識が十分で、
語学のエキスパートが通訳をしたほうが
間違いは少ないだろう。

しかし、そんなことは可能なのだろうか。

リオでメダルを獲得した国は78カ国。

英語以外の言語を日本語に訳す
ということを除外して考えてみても
いったい何人が英語ができる通訳者を
必要とするのだろうか。

そして、そもそも、プロ通訳者の方々で
スポーツに興味のある方や
スポーツ専門でやっている人は
何人ぐらいいるのだろうか。

さらには、用意しなければならない通訳者は
英語⇔日本語だけではない。
英語⇔フランス語などなど、どう考えても
日本にいるプロ通訳者だけでは足りないと思う。

ロンドン五輪やその他の五輪でも、
今回リオで行われたような形で
ボランティアの通訳がいたのだと思うし、
それで機能していたのだと思う。

ぐだぐだ書いていたら、現地での体験を
書いていらっしゃる方がいた。
記事はこちら。

13回に分かれている記事だけど、なかなか面白い。
現場にいない人たち(私も含む)は
勝手なことを言ったり、心配したりするけれど、
大切なのは現場からのフィードバックであり、
それを今後に活かしていくことなのだと思う。

やけにハードルが高い東京五輪の
通訳ボランティアの募集要項だけど、
この実力がある人でボランティアで
役に立ちたいと思う人は参加すればいいし、
ふざけるなと思うひとは、
黙って参加しなければいいのだと思う。

高能力の人が無償で働いたら、
今後はあらゆる仕事が無償化するのではないか
という恐れは分からないでもないけれど、
通訳業界の基盤はそれほど弱いものなのだろうか。

私は、正直に言ってオリンピックに大金を使うより、
いまだに仮設住宅にいる人たちや困っている人に
お金を使ってほしいと思っている。

でも、実施するのであれば、
笑顔で迎えられるような気持ちになりたい。
さて、どうなることか。

| | Comments (0)

quinta-feira, 25 de fevereiro de 2016

罵り言葉や気合い入れ言葉

もう一カ月以上前のことになるが、
自分に気合いを入れる日本語ってどんな言葉があるのかなと
考えていた。

よっこらしょ
(これが真っ先に出てくるってナニ?)
せーの!

どれも、いまひとつ力が抜けているなー。

よし!とかよーし!
で少し力が入っただろうか。

自分で「行くぞー」って言うかな?
「オイ!」
「いち、にーのさん!」

んー、私がボキャ貧であることを差し引いても
気合いを入れるときの言葉って少ないような?

日本語には罵りの言葉が少ないと言われているが
罵る相手は他人だけではなく、
たとえば、自分の思うとおりにできない時には
自分を罵りたいと思う。

その時には、
バカ!アホ!トンマ!マヌケ!
チクショー!
チェッ!
クソ!

「おまえのかーさんデベソ」は
そもそも長すぎて、自分に言うには間が抜けている。

あーーーーーーもーーーーーー!(これは言葉?絶叫?)


| | Comments (0)

sábado, 2 de novembro de 2013

自転車レース初観戦

先週末、「さいたまクリテリウムbyツールドフランス」に行った。

昨年のジロでロードレースに興味を持ち始め、今年のツールで、はまったというRR界の初心者である。
もちろん、自転車のレースも初観戦。
「さいたま」の前週にあったジャパンカップにも行こうと目論んでいたのだが、体調不良と天候不良のダブルパンチで断念した。

そして、またもや台風。雨はそのうち止むだろうとは思ったが、雨の中で待ち続ける気力は湧かず、ポイントレースが始まる30分ぐらい前に到着。

あー、なんてこったい!すごい人、人、人。
みなさん、雨ですよ。
自分の根性のなさが悔やまれる。
人垣でどこがスタート地点なのかもわからない。先の方に行けば少しは見られるかなーと思いつつ、うろうろ。
道路の反対側に行こうとしたところ、封鎖。もう渡れません。

えー!!!どこまでついてないのか!と思いきや、そのおかげで最前列に位置することができた私。
ラッキーとしかいいようがない。

おかげで、風を感じることができた。
選手がぴゅーんと走る抜けるときの風。
思わず、かっこいいーとつぶやく。
しかし、写真はズタボロ。ゴール前の直線なのでスピードを出してくださる。
次回からはコーナー近くにしよう・・・。

途中で雨は止んだというものの、ぎっちり人が立っているから、持ってきたコーヒーすら飲めない。
当然、パンも食べられない。おなかすいた・・・。

サッカー観戦より長い時間、立ちっぱなしだった。
しかし、楽しかったので疲れは感じない。
途中から隣に来たカップル、こちらも初観戦組みと話しつつ、観戦。 

Continue reading "自転車レース初観戦"

|

domingo, 28 de abril de 2013

書けない

ブログの更新がなかなかできない。忙しいというのもあるけれど、書き始めても、なかなか文章にならないのだ。書きかけのまま保存をした記事がいくつも…。そして、保存先の外付けHDが壊れて、私の過去は消えた!でも、これは、案外、あっさりとあきらめている。でも、このHD崩壊で、書きかけのものが多かったなと思い出した。

書けないのは、考えがまとまっていないからだとも思うが、書いていくうちにまとまることもあったわけで、それがそうもいかない。なんかもやもやーっとしたものが心に残ったままになる。だから、私が言いたいことを書いてくれている人がいると、あー、すっきり!気分がいいなんて思う。

でも、書けないことのもうひとつの理由は、「恐れ」だと思う。自分がどう思われるか、人を傷つけはしないだろうかなんてことを考えているから、奥歯に物が挟まったような文章になり、途中でいやになる。私は、いつからこんなふうに「空気を読む」なんてことを始めたんだろうか。どちらかというと、人がなんと思おうと気にしないで生きてきたのに。今でもそうじゃないか!というツッコミは保留していただきたい。

TWITTERとFacebookのせいかしらん。でも、あまりあっちには書いてないから関係ないと言えば関係ない。

書こう。考えたこと、思ったこと、感じたこと。悩んで書いてみれば、何かが見えるかもしれない。

|

terça-feira, 8 de janeiro de 2013

七草がゆも食べてしまった

あれよあれよという間にジョルジーニョは帰国。
2013年の鹿さん、体制が徐々に固まりつつある今日この頃ですが、
私は、手帳の準備さえできていない。

参ったな~。

何が忙しいというわけではないのに、なぜ?
たぶん若い頃に比べ何をするにも時間がかかるというのがある。
それと、勢いがない。

「なでしこについて書いてみよう!」と思っても、
ぐちゃぐちゃと考えているうちに書けなくなる。
そういうことが去年は多かったな。
これ以上ないぐらいにサッカーのことを考えていたと思うのに
言葉としてまとまらない。

参ったな~。

今年は、昨年より心に余裕を持ちたい。
そうすれば、いろんなことが解決するようにも思う。
では、なぜ私の心に余裕がないのか・・・。
んー、ムダを削り落す?
んー、欲張らない?
んー、気を使わない?(←使ってないだろうという声が聞こえた)

とまぁ、人生は悩ましいものである。

|

sábado, 30 de junho de 2012

人々の力

今、私の手元にアメリカの歴史学者ハワード・ジンの著書「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上・下)」がある。ジンが「民衆のアメリカ史」を若い世代向けに書き直した本である。

私たちが学校の歴史の授業で習ってきたもの、もしくは暗記させられてきたものは偉人伝のようなものだった。歴史の教科書には成功し世に名を残した人たちが歴史を築いてきたかのように書かれている。でも、本当は違うとハワード・ジンはアメリカ史の違う見方をこの本で示している。

そして、あとがきにこんな文章がある。
「じつは社会を変えてきたのは、自分の声を届かせる方法を見出した黒人、女性、インディアン、若者、労働者といった人々だったのだ」

さらに、人は選ぶことができるのだとジンは言う。
抵抗をし、抗議をし、さまざまな文化を受け入れる側に参加するのか、あるいは傍観しているのか、わたしたちはどちらでも選べる。けれども、選択しだいで結果は変わってくるのだということを、心にとめておきたい。

今日のデモや最近行われている小さなデモが社会を変えていく声に繋がる。

|

quarta-feira, 27 de junho de 2012

ふたつの事柄

最近、二つの事柄を一緒に語る時には注意をしなければならないと思っている。

たとえば、Jリーグのジャッジの件と鹿島が負けたことを一緒に語ることだ。
ジャッジのレベルが低いことを語り始めながら、最後は「それでも負けない鹿島でなければならない」というように締めている文章を見ることがあるけれど、それは違う。
ふたつの事柄は、まったく違うことなのだから、審判のレベルアップを望んでいるなら、鹿島のレベルについては同じ文章の中で語らない方がいい。

審判がどんなジャッジをしようと負けないチームは理想だ。
でも、そんなチームは存在しない。だから、ワールドカップやユーロで悲劇が生まれるのだ。
バルセロナだって誤審の末に敗れることはあるだろう。

誤審があったとしても、あの時に●●がゴールを決めていれば勝てたと思う気持ちはわかる。
しかし、審判のレベルの向上を求める、あるいは審判部がおかしいのではないかと語る時にチームの質の話を加えてしまうと、本来、言いたかったこと、討論したかったことから遠のいていくだけである。

へりくつ言いではあるが、理論的な思考が苦手。
さらに、年と共に感情に流されがちな自分なだけに気をつけたい。

|

terça-feira, 3 de abril de 2012

筋肉痛

数か月に一度、フットサルをしては筋肉痛でロボット歩きになることを繰り返している。
仕方ないね、運動不足だもの。

翌日に痛みが出たので思ったより早く症状が現れた。まだ若いのか・・・。

どこが痛いとかではなく、全身がバリバリである。腕も背中も痛い。

そして、その翌日は、案外、早く回復するかなというほど体全体の痛みは消えていた。
ところが、歩いてみると、今度は筋肉の固まり毎に痛みがわかる。
そのひとつひとつに名前がついているのだろけど、右利きの私の場合、左足は腿の裏が一番痛かった。
ロベルト・カルロスの腿裏のすばらしい筋肉を思い出す。あれは欲しくないが。さらに、左は太ももの前の外側が痛い。
右足は内またに近い部分が痛みが強かった。

膝から下はそうでもないなと思っていたら、今朝になって足の甲から足首にかけてが痛くなった。

いつになく、真剣に自分の体と向き合っている。

でも、今回最大の発見は、寝ていても痛いことだ。
寝ていると体が固まっているからなのかなぁ~。

真剣にヨガかストレッチを考えよう。

|

より以前の記事一覧