« dezembro de 2023 | Main | março de 2024 »

terça-feira, 27 de fevereiro de 2024

稲垣えみ子著『家事か地獄か』と私の暮らし その2

掃除洗濯料理が家事である。つまり稲垣氏のいう「自分の世話は自分でする」である。

誰もが自分のことは自分でするということが案外、できていないのが今の世の中ではないだろうか。私の周囲には定年退職した夫が家にいるという家庭が増えているが、夫さんたちは、まず家事をしていない。

「結婚退職」や「男子厨房に入るべからず」「良妻賢母」などという考えが残っていた世代だ。大半の人は1980年代に結婚をしている。仕方がないのかなとも思う。今からでも遅くないから家事をしたらとは思うが…。

親と子という関係においては、自分の世話を見られない「子」は都心部に多いのではないだろうか。実家にいて大学進学や就職ができるからである。家を出る必要がない。これは世代は関係ない。昭和生まれの子、私もその一人だった。

母がやっているんだから、私は手を出さない。あそこは母の領域とか思いながら、介護生活が始まるまで掃除洗濯料理は9割(1割は自分の部屋の掃除)行っていなかった。母もたまに文句を言うことはあったが、私の食事を作らないとか洗濯ものを放置しておくということは一度もなかった。この話を母親をやっている友人たちに話すと「ついでだしね」「やってしまったほうが早い」「そのほうが経済的」と言う。そして、母親たちは子供たちの世話をやき続けるのである。

こうして、自分の世話ができない大人が増えていく。

家事をすることは自立である。少なくとも自立への一歩だ。今の私はそう思える。自立とは自分の生活を自分で決められる自由だ。高齢になれば、病気やケガのリスクも高まる。どうしても自分の世話ができなくなる日もくるだろう。そうなった時には、自由が著しく損なわれる。私は自由でいたい。だから、本当に今さらだけど、自分の世話を頑張って(!)していこうと思う。

| | Comments (0)

segunda-feira, 12 de fevereiro de 2024

稲垣えみ子著『家事か地獄か』と私の暮らし

私より7歳年下の著者が実践している生活について記した本。基本的に今流行のミニマリストの生活本と言えるだろうけど、副題に『最後まですっくと生き抜く唯一の選択』とあるように、まだ現役世代の著者が高齢化していく先を見据えた本でもある。

著者がやってきたことすべてが万人に向いているわけではないけれど、読んでいてはっとすることも多々あった。

物が多すぎるから片付かない。便利だと思って(企業にそそのかされて便利だと思い込んで)購入しづづけていると物は増える一方である。

これは、自分の家を片付けていて痛切したことでもある。なぜ、こんなに洋服があるのか。見た記憶がないものが押し入れの奥から出てくる。そして、それらを整理整頓するため、または使い勝手よくするためにはどうしたらいいのかとネットで検索をすると、新しい何かを買う羽目になる。これでは、片付けているようで片付けていないなとは思う。プラ製品を増やしているだけである。

著者は大きなマンションから小さなマンションに引っ越したことを契機に物を捨てまくった。これは、物を捨てるためにはベストな方法である。なぜなら、置き場所があれば片付けてもまた増えるし、私の場合、部屋が空いているんだから、いいんじゃないかなと思い始めている。しかし、これが進むとゴミ屋敷になる。

この一年で、両隣の家に入る機会があった。それぞれ、90歳間近の夫妻と80代半ばの女性が住んでいる。かなりの衝撃であった。ゴミ屋敷とまでは言わないが、床が見えないほど物が片付けられていない。これでは、しょっちゅう物を失くすわけである。使っていない部屋に物をどんどん入れていく。この辺いったいは同じ建売住宅なので、建材は同じだし、間取りも似ている。将来の我が家を見たようで、なんとも言えない気持ちになった。

高齢になっての断捨離は身の回りの整理というか、死後に恥ずかしくないように、または子供たちに迷惑をかけないようにという気持ちですることが多いと思う。しかし、本当は今生きている自分がどう暮らしたいかということを考えなければならない。そこがスタートである。著者は有名なこんまりさんの片付け本の神髄は「心がトキメク…」ではなく、「自分が目指す理想の暮らし」を強く、かつ具体的にイメージすることが重要であるの部分だと言う。

確かに、ぼっとした気持ちでやっているから片付かないのだ。生活とは生き方なのだから考えなければならない。

つづく

 

| | Comments (0)

domingo, 4 de fevereiro de 2024

一年過ぎた

ひとり人暮らしも一年が過ぎた。

ひとりで生活して、というか、仕事もなく世話をする相手もない生活をしたことで、
自分が規則正しく生活するのが苦手だとよく分かった。

ていねいな暮らしをしている人は、朝7時に起きて散歩、朝食後は家事、その後は趣味の時間、
お昼を食べてお買い物とか外出、6時に夕食を食べてお風呂に入って10時に寝るとか書いているのをよく読むけど、私には無理無理!

一時期、8時ぐらいに散歩をしたことはあったが、暑くなって、なんとなく終わってしまった。

10月以降は、ジャズダンスを週に1回行くことにして、規則正しさを入れてみたが、
午前中に用事がない限りは、よく寝る。ちなみに、今日は9時間ぐらい寝た。
一度、目が覚めたのが8時なんだから、そこで起きればいいのに、また、気持ちよく寝てしまった。

そして、出ていくお金。
ものすごく贅沢をしているわけではないが、出好きな私は、やはり、ちょこちょことお金がかかる。
ちりも積もれば小山ぐらいになって財政を逼迫する。
この問題については、働けば?ということになるが、
現在66歳、友人曰く、働いている場合ではない!
そう。残り少ないであろう、健康、元気でいる時間をあくせくと働いて過ごすのか。
そんなのは嫌だ。
なのに、働かなければ暮らしていけなくなるというのは社会の問題だ。

まぁ、持っている人には関係ないことだろうけれど、
高齢女性の貧困と紙一重である。たぶん。

まぁ、とりあえず、なんとか生活した。

さて、2年目はどうなることか。

| | Comments (0)

« dezembro de 2023 | Main | março de 2024 »