母は手の人だった。手を常に動かして何かを作っている人だったから、私が横になって本(マンガ)を読んでいる姿は「何もしていない」と映ったらしく、よく「怠けていないで何かしなさい」と言われたものだ。
私が知る限り、母はフランス刺繍に始まって編み物、パッチワーク、ビーズという手芸に次から次に熱を上げていた。
手先が器用だったのだろう。父と私は母の趣味に関心を抱いたこともなく、「よく飽きもせずにするな」ぐらいな気持ちで見ていた。亡くなってしまった今は、どうしてあんなに夢中になってやっていたのか聞けば良かったと思う。「きれいだね」とか「すごいね」ぐらい声をかけてあげればよかったのに…。
刺繍は目が悪くなったから刺せないと言って止めたが、ド近眼の私からすれば、母は死ぬまで目が良かった。どうして辞めたのか知らないけど、作品を「残すもの」と「捨てるもの」に分けられる元気があるうちに止めていたので、ほとんど作品が残っていなかった。残っていたものも、適当に押し入れに放り込んであったから、シミや汚れがたくさんついていた。とりあえず、クリーニング屋さんに修復をお願いした。
編み物は、編みかけのものも含めてセーター、カーディガンが5枚ぐらい残っていた。素人目に見ても、すごく手が込んでいて、よくこんなのが編めたなと思う。気にいた一枚を残して、残りは母の妹である伯母に送った。伯母も手の人なので、毛糸をほどいて再利用するそうだ。
パッチワークは、完成品がなかった。家の中に完成品があったという記憶もあまりない。ハワイアンキルトの大作が作りかけのまま残されている。これは、どうしろと?
そして、ビーズのアクセサリー。母が元気だった時に残っていたビーズ作品を人に分けると言い出したので、母のお友だちや私の友人にかなりの数を引き取ってもらった。しかし、まだまだ残っている。思わず、このビーズにかけたお金で本物のジュエリーが買えたなと思ってしまった。指輪は小指にしか入らないぐらいに細い。ペンダントやネックレスはステージ衣装になりそうなぐらい派手だ。
もうこれ以上は出てこないと思うが、自分が死んだあとも残る趣味として手芸は悪くない。気に入った人が使えばいいし、再利用もできる。
そういう意味では、私の趣味だった写真は箸にも棒にもかからない。芸術家かぶれでワザとぶらして撮った写真は意味不明だし、風景写真(自分でもどこで撮ったか忘れている)はそれだけ…。そして、おびただしい数のサッカー選手の写真。最近のファンが撮っているような素晴らしい写真ではない。腕が悪いのもあるが、何よりカメラの性能が違うと言いたい。念のために言うと、データで残っているのではない。フィルム時代はもちろん、デジタルになってからもプリントしている。最悪なのは、同じ写真をL、KG、2L、なんなら四つ切とサイズを変えて何枚もプリントしていることだ。自己満足だけで成り立っている趣味!? 困ったもんだ。
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