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quarta-feira, 15 de fevereiro de 2023

コレが欲しい!

家の近くの100均に行った時のこと。

3歳ぐらいの子が地面に這いつくばるようにしてというか、しゃがんで、棚の一番下にある何かを掴んで母親に、これが欲しい!と訴えていた。まだちゃんと話せていないけれど、全身から「わたしは、コレがいいの!」と表現している。レジを済ませていた母親は子供の言うことは聞いているけれど買ってあげるつもりはないらしい。それでも、何かを握りしめて粘る子ども!

その日、私はウィリアム・モリスのデザインを使った箱やクリアファイルやラッピングペーパーが100円で売っているとツイッターで見かけて、それ目当てに100均に行ったわけだが、私と3歳の子の共通点を発見した。「これが欲しい」という物欲だ。高齢者と言われる年齢の私もこの世に生まれ落ちてまだ3年ぐらいの、ロクに話もできない子どもも「これが欲しい」というツヨい気持ちを持っている。

私は何歳から物欲にまみれているのだろうか。物欲は何がきっかけで生まれるのだろうか。なぜ、こんなにもモノを欲するのだろうか。石器時代に物欲はあったのか。次から次に疑問が湧いてきた。初めて心の底から欲しいと思ったのは何かは覚えていないが、母に「言い出したらきかない」とか「しつこいわねー」とか言われた記憶はある。他人に比べて特段に物欲が強いとは思わないし、家計を破綻させてまで物を買ったことはないけど、100円のものから数10万円(かわいい金額だ!)のものまで、今も欲しいものが10個ぐらいはある。

人の物欲はいくつになったら枯れるのかしら。枯れないのが元気の素かもしれんし…。

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quarta-feira, 8 de fevereiro de 2023

断捨離と遺品整理

断捨離もこんまりも不要だと思う。自分が心地よい生活ができるなら、そのままでいいんじゃないかと思う。
読みたいと思って買った本、好きな選手や俳優の写真、試合のビデオ! DVD、自分で撮った写真、外国で買ってきた、くだらなくてかわいいもの等など。そういったものに囲まれて生活できれば最高だ。

奈良美智さんがツイッターに上げる部屋の写真や展覧会で見られる部屋の様子は、あこがれだ。奈良さんが好きなものがきれいに飾られているし、古いレコードや自分が描いたものが取ってある。そのスペースが羨ましい。現実は、足の踏み場もない!である。自分の部屋に入りたくない。片付けなければならない。気持ちよくいられる部屋にしたいと思う。

もうひとつ、私が直面している現実は、父や母の遺品整理だ。父が亡くなった時、洋服や靴はあっという間に片付けた。ゴミとチャリティだ。量が少なかったから楽だった。それと、亡くなった直後は妙なアドレナリンが出ていて、片付けなければ!となっていた。しかし、2か月も過ぎると、「2階にある本は、あとでいいかな」となった。

そして、あっという間に5年近くが経過した。去年の10月ごろ、私が死んだら、この家に残された膨大な物はすべてゴミとして処理されるんだなと思い当たった。そんなことは当たり前だし分かっていたつもりだったんだけど、自分のものはともかく、父の本もゴミになるのかとズドーンと来た。価値のある本だとかそういうことではない。本好きだった父が読んでいた本だし、図書館や古本屋に行くのが定年後の父の毎日だった。3.11の時も古本屋にいた。入院する直前に私に言ったのは、「わるいな。この本を図書館に返しておいてくれ」だった。時々、何冊かまとめて紐でくくって捨てていたから、今ある本は残したい本だったのかなと想像した。父が古本屋を回って本を探したように、ここにある本を必要とする人がいるかもしれない。古本屋さんに持っていこう。不肖の娘ではあるが、娘としてやらなければならないと思った。

200冊以上あったけれど、新書、文庫本が多いため引き取りには来てくれない。というわけで、私は週に2回ぐらい古本屋通いを続けている。ちょっとした筋トレである。本棚の空間がどんどん広がっていく。あと少しだ。空いたスペースには、とりあえず、床に放置されている私の本を入れようか。それとも、古本屋通いを続けようか。

母の遺品整理については、またの機会に。

 

 

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sexta-feira, 3 de fevereiro de 2023

orphant

自伝的作品『フェイブルマンズ』を監督したスピルバーグが、高齢の父親を亡くした時に「orphant」になったと感じたとインタビューで語っていた。その時、スピルバーグ監督は70歳を超えていた。お母さんが亡くなったのはその数年前なので、自分の人生の大半の時間に「両親」がいたということだ。

この話に70を過ぎて「孤児」はないだろうという意見も見たけれど、私は母が亡くなって「とうとう、みなしごになってしまった」と感じたので、スピルバーグの気持ちは分かる気がする。

自分を覆ってくれていた屋根がなくなってしまったような、寄る辺ない気持ちになった。

何かあれば親に相談していた子だったということはない。どちらかと言えば、何もかも自分で決めて親のアドバイスは聞かなかった。一緒に行動することもほとんどなかった。それでも、orphantなのだ。不思議だな。

 

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