夏の終わりに
コパ・アメリカからユーロ、ツール、
そしてオリンピックと見てきて
スポーツの夏が終わろうとしている。
(ブエルタ・ア・エスパーニャは
まだ2週間続くけれど…)
優れた能力を持つアスリートが
さらに努力を重ねて競い合う大会なので、
どれも見応え十分ではあり、
見る方も一喜一憂して楽しいのが
こういう大きな大会の面白さだ。
でも、大会が大きくなればなるほど、
いろんな事件が起きたり
様々な意見を耳にする。
あまりに多くのことが起きるから、
ユーロのフーリガン問題なんて
遠い記憶になってしまった。
書きたいというか、頭の中を
整理したいことは多々あるけれど、
ここで、ひとつだけ書き留めておこう。
数年後には
考えが変わっているかもしれないけど。
通訳ボランティアのことである。
リオ五輪の日本語を担当する通訳ボランティアが
不足していて、東京外大の学生が
ボランティアに行くという毎日新聞の記事だった。
この記事にプロの通訳者の方々が、
こんな重要な仕事を無料で、
しかもアマチュアにやらせるとはどういうことかと
かなり激怒していたのである。
ボランティアだし、たとえば公式の記者会見や
ミックスゾーンを担当することはないだろうと
私は思っていた。
仕事内容もこの記事からだけで
断言してしまうのはどうなのかと思っていた。
ところがどっこい、参加したボランティアの方のブログを読むと
ミックスゾーンの通訳を担当していたようである。
そうなると、当然、能力の差が出て
大変だったことは想像できる。
実際に、事前の準備が足りず
大変だったというボランティア通訳者の声が
記事になったりして、またもや、
「なぜ? 通訳がボランティア!?」という声が挙がった。
確かに、担当の競技の知識が十分で、
語学のエキスパートが通訳をしたほうが
間違いは少ないだろう。
しかし、そんなことは可能なのだろうか。
リオでメダルを獲得した国は78カ国。
英語以外の言語を日本語に訳す
ということを除外して考えてみても
いったい何人が英語ができる通訳者を
必要とするのだろうか。
そして、そもそも、プロ通訳者の方々で
スポーツに興味のある方や
スポーツ専門でやっている人は
何人ぐらいいるのだろうか。
さらには、用意しなければならない通訳者は
英語⇔日本語だけではない。
英語⇔フランス語などなど、どう考えても
日本にいるプロ通訳者だけでは足りないと思う。
ロンドン五輪やその他の五輪でも、
今回リオで行われたような形で
ボランティアの通訳がいたのだと思うし、
それで機能していたのだと思う。
ぐだぐだ書いていたら、現地での体験を
書いていらっしゃる方がいた。
記事はこちら。
13回に分かれている記事だけど、なかなか面白い。
現場にいない人たち(私も含む)は
勝手なことを言ったり、心配したりするけれど、
大切なのは現場からのフィードバックであり、
それを今後に活かしていくことなのだと思う。
やけにハードルが高い東京五輪の
通訳ボランティアの募集要項だけど、
この実力がある人でボランティアで
役に立ちたいと思う人は参加すればいいし、
ふざけるなと思うひとは、
黙って参加しなければいいのだと思う。
高能力の人が無償で働いたら、
今後はあらゆる仕事が無償化するのではないか
という恐れは分からないでもないけれど、
通訳業界の基盤はそれほど弱いものなのだろうか。
私は、正直に言ってオリンピックに大金を使うより、
いまだに仮設住宅にいる人たちや困っている人に
お金を使ってほしいと思っている。
でも、実施するのであれば、
笑顔で迎えられるような気持ちになりたい。
さて、どうなることか。
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