ゴールデン・ウィーク徒然
マヤ・ブログによると、宮市クンはウッチーなみの大食いなのですが「30分で消化する」そうです。
うらやましい・・・。
お昼に食べたお肉が、まだおなかのなかに留まっているように思う。
年とってきて、あーあーなことはいろいろあるが、消化能力が落ちたというのが一番トホホな気がする。食べるという人間の基本なのに。
おなかはすくが、外食をすると後が苦しいのよ!
10連休も終わりです。
どこにも行かないで10日も休んだのって初めてかしらん!?
退屈せずに過ごせるものだわ。
んー、おなかが苦しくてだるい。
ハワード・ジン氏の「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」のあとがきより。
ところが、アメリカ国民はしばしば、だれかに救済してもらう、という考えをはねつけてきた。自分自身の力を頼み、抵抗に出ることもあったのだ。
これまで、そうした抵抗の歴史は封印されてきた。政治家や軍の幹部、大企業のトップからなる社交クラブ、つまり体制側は、全国民の代表だと称する政府と歩調を合わせ、アメリカ国民は結束している、という外面をとりつくろってきた。一方で体制側は、無力だとみなした人々から抵抗され、あるいは、満足させたはずの人々から変革をつきつけられた過去などなかったことにしたい、と思っている。
じつは社会を変えてきたのは、自分の声を届かせる方法を見出した黒人、女性、インディアン、若者、労働者といった人々だったのだ。
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今から30年近く前のことだったと思う。
中国の人たちの写真を見たアメリカ人、当時40代が「なんてみすぼらしい格好」と言った。
確かに、そこには決して豊かな雰囲気ではない子供たちが写っていた。
でも、私にとっては自分の子供の頃の記憶に繋がる写真だった。
ちょっとツンツルテンのスカートをはいて毛糸のパンツが見えているような姿。
アメリカ人の物のいいように驚きながら、「このアメリカ人はずっと豊かな暮らしをしてきたから貧乏だった自分の国を知らない」と思った。
しかし、そんな私でも、貧乏だと思ったことはない。おさがりの洋服を着たり、母が毛糸の編みなおしをしたりしていることはあっても、何かに不足していたことはない。日本が経済大国になる前のことだ。
エコノミック・アニマルだとか世界からのの知られても、好きなミュージシャンは来日してくれるし、自分も海外に遊びにいく。食べたいものを食べる。本当に不自由のない世界。
震災後、前と同じではいられないかもしれない。この私が「豊かではない日本」に生きるかもしれないと思った。どよんと暗い気分が襲ってきた。でも、仕方がない。
この地震が経済に与えたインパクトや原発のことを考えると、前と同じ生産力を期待するべきではないと思った。
1億何千万人の人たちが公平に食べていければ、震災前と同じ金銭的な豊かさがなくても良いと思った。
40年前の私は不幸せだったのか?
私の父母は毎日がみじめだと思って生活をしていたのか?
そんなことはないはずだ。
私は成長ばかりを追い求めてきた生活を考え直すべき時なのだと思った。
日本の社会は変わっていかなければならないと思った。
しかし、世の中を見渡してみると違うようだ。
考えよう、考えよう、
もうすぐ2カ月。
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