片八百長
大相撲が八百長で揺れているらしい。
今までに何度も週刊誌などで取りざたされてきたけど、ついに証拠が!
ってなことなんでしょうか。
そこで、
「昭和のはじめから相撲を見続けている!」と常々言っているウチの父に聞いたみた。
「八百長ってあると思っていた?」
「当たり前だ。一対一の勝負には八百長はある。将棋でも碁でも」と話がドンドンとそれそうになるのを無理やり引き戻そうと苦戦する娘。
耳が遠いのか聞く気がないのか、はたまた・・・。
そのうち「片八百長」という言葉が出てきた。
何も知らない無知な娘が、それって何?と聞くと
「あの小●のバカが大感激した相撲もそうだ!
貴乃花と武蔵丸が~!!!
誰も武蔵丸の気持ちを考えてないで貴乃花貴乃花と!!!!」と
怒り暴走。
一端退散してから再度、取材する。
要するにケガをしている相手にマトモに相撲を取ることなんて出来ない。ましてやあの状況では無理ということであった。
そこで思い出したのが、ロス五輪で山下に負けたラシュワンだ。
ケガをしている山下を攻められずに負けたラシュワン。
武道の精神を理解している!とかなんとか言われていたが、非常に違和感を覚えたのであった。
いろいろと検索などをしてみると、「八百長」の語源となっている出来事は、今で言う「片八百長」なのだ。
だからと言って、今の世の中でこの二つの間で明確な線引きがるとは思えない。
人間がやっていることである限り、簡単に善悪で割り切るものではないし、正義を振りかざすのはおかしい。
それより、その給料の差、なんとかしなよ!と思う気持ちが先になったりする。
この際、相撲協会は一切合財、考え直す時なのではないだろうか?
それは、八百長が良くないことだ!ということではなく、自分たちが勝手に作った仮面を外してよく見て見る時だと言うこと。相撲好きの人も同じ。これからの相撲を探っていけばいい。
その流れで離れていくファンもあれば、新たに好きになる人も出るでしょう。
しかし、意外だったのは、昭和のはじめから見ている年寄りは、スポーツと思っていなかったことだ。
興行だとはっきり言っていた。
下町で相撲部屋を覗いていたチビの頃からそう思っていたわけではないだろが、聞いてみないとわからないものである。
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