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terça-feira, 23 de março de 2010

とりつかれること

何かに心底、惚れこんでしまった時、ひとつの問題が浮上する。
この気持ちを分かち合える人と出会うことが出来るのだろうか?
もちろん、この場合、惚れこむ対象は2次元半か2次元だ。
手の届く人への感情、恋愛感情を分かち合いたいなどと思うわけがないので、それは例外。

今までの経験からすると、非常に難しい。だから慎重になる。

たとえば、A子が●●が好きだ、大ファンです!と言っても、その気持ちが私と同じであることはない。
私のマックスとA子のマックスが一致することは、まずない。同じ高さ、強さで盛り上がることや落ち込むことが出来ない。微妙に違うのである。そういうことが続くと、孤立感ばかりを感じるようになる。
好き好きって言っているけどたいしたことないじゃん。

単純に一緒にワイワイと騒げない私はひねくれすぎか? 私の執着が異常か? でも、とりつかれるとはそういうことなんだと思う。

かくして、とりつかれた私は、軽い気持ちで「大好きです!●●なしでは生きていけません!」と世間様に向かって言えなくなった。

秘密だから、私が●●を好きだと言うことを知らない人たちは、●●を話題にして、誉めたり貶したりする。貶された方がまだマシだ。その人たちの趣味ではないと言うだけのことだ。
でも、大好きです、こういうところが!と熱く語っている人の方が始末に終えない。その温度が私と違っていることの方が多いからだ。私と違うというだけでその人に罪はない。でも、私の側には来ないで欲しい。こういう人にうっかり自分の気持ちを打ち明けてしまったら、苦痛が始まる。気を使ってファン活動に勤しむことになる。ちょっとした苦行になっていく。

私の感情は私だけにしか理解できないし、私の●●さんなのだ。私の思いを簡単に理解なんてされてたまるかと真剣に思っている。いや、そんなことを思っていた中学生の私。
(充分に大人になったらしい今は、許容範囲も広がり、ネットのお陰で限りなく自分に近い人たちとわーわー言うことが出来る)

そこで、私の竜馬のことである。

世界は広くても、竜馬の命日に中学校の水のみ場で手製の船を浮かべて遊んだのは私と友人ぐらいだろう。
だから、急に竜馬関連の本が並び、テレビでも取り上げられているのが、許せない。いやでたまらない。私の竜馬だ。竜馬は偉大なのだ。竜馬みたいな日本人は他にいないのだ。その竜馬を今頃、急に何?

本当のところは、中学生の私自身こそ大河ドラマと司馬遼太郎の本で竜馬好きになった、いわば、メディアの影響の産物だとわかっている。それでもなぁ~、私の竜馬だ。むやみと商品化されているようでいやだなぁ~。この気持ち、わかってくれる人はいるのだろうか。

いたようだ。
ガンバ大阪のミッチだ
「龍馬フリークの俺としてはね、最近なって龍馬やらなんやら言うてんのがまっこと分からんき。」と書いている。
この子の良いところは、私のようにプンプン怒ってないところだ。

ブログの最後に書いてある言葉で、ミッチと完全に通じ合ったと勝手に思った。
「世の人は 我を何とも 言わば言え 我なす事は 我のみぞ知る」

あらら、私が何度も中学のノートに書いていたことじゃないかぁ~。
ミッチ、あんがと。

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