1970年ー1978年
「ミルク」は1970年から殺された1978年までの非常に密度の濃かった彼の人生を描いていた。
その日々は、私が(自称)多感な10代を東京の西で過ごしていた時期である。
私は「ウーマン・リブ」(すっかり使われなくなった言葉)に傾倒していた。傍目には非常に変なことを言っている女子中学生であり女子高生だったらしい。
きっかけは何だったのか?
「中絶の権利」を求めていたわけでも「職場で機会は平等に与えられるべきだ」と考えていたからではない。
「ミルク」の脚本家ダンスィン・ランス・ブラックが言っていることと似ている。彼はハーヴェイ・ミルクを知ったことで希望を持ち、自分の人生を生きよう思えるようになった。私がウーマン・リブという運動があることを知って、「私の考え方、感じ方は間違っていない。変ではない」と思えるようになった。私も救われたのだ。
ゲイの人たちが子供の頃から感じてきたことに比べれば小さなことだと思う。自殺をしようとは思わなかったし孤立感がそれほど大きかったわけではない。
でも、小さい時から活発でハキハキとしていた私は、しょっちゅう、「女の子のくせに」と叱られていた。その度に「女の子だって男の子と同じように心と頭があるのに、何も感じてはいけないのか、考えてはいけないのか、それを口にしてはいけないのか」と悩んでいたし、そういうことを考える自分は変なのか、なにやら割り切れないものを感じていた。
だから、ウーマン・リブの運動を知り、「そんなことはない」と知った時には救われた。
女性の権利、同性愛者の権利と書くと何やら過剰なものを要求しているような印象を持つ人が多いと思う。自分たちの世界が脅かされると思っている人が多いと思う。人種差別問題も同じだ。
でも、ごく当たり前のことを言っているだけなのだ。
他の人たち(男性だったり、異性愛者)と同じように生きたいと言うこと。自分の性別や性的嗜好ゆえに「人より劣っている」とか「異常」だと言われたりしない世の中、好きな人のことを好きだと言える世の中を求めている。職業選択の自由があって好きな人と暮らして、行きたいところに自由に出入りをしている「あなた」と同じ暮らしがしたいと言っているだけなのだ。
この映画を見ながらひとつ不思議に思っていたことは、アメリカのウーマン・リブについては耳にしていたのに、なぜ、ハーヴェイ・ミルクやゲイの運動について知らなかったのだろう。私の目に単に入って来なかっただけかもしれない。でも、意図的に隠されていたのかもしれない。以前、どこかで同性愛者の権利の話をするより女性の権利の話が抵抗が少ないと読んだ記憶がある。
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