貸本屋さん
私が子供の頃には「貸本屋さん」というものが街にあった。ものすごく利用していたわけではないが、マンガや本がおいてあった比較的小さな店だったと思う。いつの間にか街から消えてしまった。古本屋さんは今でも残っているしブックオフなど新手のチェーン店やネットでも古本は買うことが出来る。
DVDやCDのレンタルもあるし商売はうまくいっているのに、なぜ、貸本屋が消えてしまったのだろう。
本を読む人が減ってビジネスとして成り立たなくなったから?古本屋が元気なのはマンガのおかげ?
私は、今こそ「貸本屋さん」があれば良いのにと思う。
本が売れていない、本を読む人が減っているというが、人気のある新刊は図書館で100人以上の人が順番待ちをしているというのがざらだ。これは売れないには結びつくが、「本を読まない」にはならない。私のように本を買いたくても買えないから図書館で借りるという人が多いのではないだろうか。
まずは経済的な理由。1000円や2000円ぐらい無駄遣いをしていると言えばしているのだが、本をたくさん読む人にとっては塵も積もれば山となるである。塵と言うと本に失礼だが、本によっては「はずれ」もないわけではない。次の理由が、その「山」である。置いておく場所がないのだ。長く生きていれば物は増える。まして昔と違って娯楽や趣味は多様化している。家に持ち帰るものが多いわりには、日本の住宅事情が30年前に比べて良くなっているとは思えない。
物欲を刺激されあらゆるものが部屋に散乱している(私の場合)。ビデオを捨ててもDVDがある。捨てきれないビデオもある(私の場合)。デジタルの時代なのにせっせと写真を焼く(私の場合)。年末の大掃除でビデオをかなり捨てて床面積を広げたはずなのに、すでにスラムダンクと本のおかげで窓際にたどり着くのも大変なあり様になっている。我ながらしょぼんとする光景だ。これで又、本を買ったらどこにおけば良いのだろうかと考える。
さらに、こういうこともある。
欲しいと思っていた本がしばらく時間をおいて探すと見つからないのである。本が売れないと言っているわりに本は次から次に出版されている。前にここに積んであったよなと思う本が見あたらないのだ。本屋さんに聞けば良いのだが、案外タイトルや作者名をうろ覚えだったりするから聞けない。ネットで検索して発見しても、パラっとページをめくって立ち読みすることが出来ない。アマゾンの中身拝見は全くもって実現されていないし、出来れば活字は紙の上で読みたいと思う。
わがままと言えばわがままだが、その願いを叶えてくれるのが貸本屋さんではないだろうか?古本が流通すると出版社や作家さんの儲けにはならないらしいが、音楽の著作権と一緒で古本や貸本に一定の額を上乗せしてみればどうだろうか。出版後半年は「新作」として貸代や古本代を高めに設定すれば良いと思う。図書館の場合は公共の立場だからお金を利用者から取るわけにはいかないだろうが、図書館で100人もの人に読まれているのに作家さんの利益がゼロというのもおかしな気がする。何か方法を考えれば良い。
本の値段そのものだってもっといろんな価格があるべきだ。一昔前と違って値下げは出来るようになったようだが、実際には値下げをして売っている本を見かけることはほとんどない。私の部屋にスペースが足りないように本屋さんにも置き場所がないのだろう。本屋さんの棚の容量は変わらない。昔は文庫なら「新潮」「角川」「岩波」がずらりと並んでいた場所に、数多くの出版社が入り乱れて置いてある。当然、1社のスペースは減り、値下げして売ることが出来る本を置く場所がない。古い本よ、おさらばだ。本当に、どこに消えてしまうのか疑問だ。
出版社ももっと考えるべきだ。売ることを本屋さんに任せっきりにしていないだろうか?自社のサイトで中身を一部読めるようにし低価格で古い本を売るとか考えるべきだ。もっとも、素人がこんなことを考えるより以前にプロの方々は考えていると思うが、その姿は見えてこない。
なんだか熱く語ってしまったが、私自身は正直言って「読書家」ではない。履歴書の趣味欄に書くことがないから「読書」と書いているけれど、最近は電車の中では携帯、居眠りに時間を奪われて、家の中ではこうしてPCに時間を捧げている。しかし、それでも、あの本、この本と読みたい本はあるのである。
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