議論すること
思っていることを言うことは重要なことだと思う。
自分の思っていることは言葉にすることでよりはっきりするし(はっきりしていないこともわかる)、自分の考えていることだけではなく、いろんな考え方が世の中にあることがわかる。話をしていく中で修正されることもあれば、自分の意見とは違うことが通ってしまうこともあるかもしれない。それでも、黙っているよりは良い。
人としてこの社会に生きているからには、黙っていて良いわけではない。日常生活から生活まで、黙っていることは、世の中に参加することを放棄していることなのだと思う。
とはいえ、黙り勝ちな自分がここにいる。昔、遠い昔を思えば「沈黙」してしまっているに等しいかも。いや、それでも、社会や会社からはうるさいヤツだと思われているらしいが(^^;
主審の判定に抗議をして退席処分になったオリヴィエラ監督のコメント。
以下、鹿島アントラーズのオフィシャルサイトから一部を引用:
(最後に、奥野コーチはオリヴェイラ監督のコメントを代弁)
・レフリーのピッチ内での判定で大きく試合が左右されてしまった。
・日本サッカー界の向上のために、メディアの皆さんから映像や記事で今日の試合をきちんと伝えてほしい。
引用終わり。
そして、今朝の朝日新聞のSide Changeと言うコラム。正直言って、ジャーナリズムに携わる人がこの態度では、オリヴェイラ監督の意見も気持ちもまるで届いてないようで悲しいし腹立たしい。
朝日新聞編集委員の潮智史氏は「好試合を引き出す好敵手」というタイトルで浦和戦のことを書いている。
いまひとつ調子が悪い浦和が鹿島という好敵手を得て「久しぶりに攻守に一体感がみなぎった」試合をしたと書いている。「日本リーグ時代から引き継がれたヴ川崎と横浜マ、その後の鹿島と磐田や日韓戦に通じるのは、激しいけれど互いを尊重し、不用意な反則が恥ずかしく写る様な、研ぎ澄まされた空気だ」と書き、最後に「・・・オリベイラ監督は審判に文句をつけたが、判定の正誤より、好試合を引き出した見事なコントロールに触れるほうがずっとフェアな試合だった」
この潮さんが書くことは、今までも「何を書いているんだか・・・」と思ったことが度々ある。そういう記者なので、私とは考え方が合わない方だとは思う。しかし、仮にもジャーナリズムに携わって編集委員にまでなっている方としては、何かが欠けているのか、心に余分なものがあるのか・・・
意味が良くわからない。
判定の正誤がどうでも良い試合があるのだろうか。どうでも良いとはさすがに書いていないが、チームを勝利に導くべく監督が、まして、主審の判定に不満を持っている監督が「見事なコントルール」とコメントすることがありうるのだろうか? しかも、そのように試合に触れる方が「ずっとフェアな試合」と言うのは、私の読解力では意味がわからない。
オリヴェイラ監督の言葉に反発を感じたのなら、そのように率直に書けば良いのだ。鹿島や浦和の戦いぶりに便乗して書くことではないのだ。字数制限のせいであのような文章になったのか? それもプロとしてはあり得ないことだ。意図的に何か含みを持たせたかったのでしょう。
姑息な・・・・
(^^;
やはり、後藤さんは違う。
主審の判定について、曖昧あやふやにしておく風潮については、前監督のアウトゥオーリも言っていた。確か、もっとオープンに議論すべきだと。オリヴェイラ監督と言う人は、自分たちが勝った試合でも「あの判定はおかしかった」と言う人なのだ。何も自分の成績だけを考えて言っているわけではない。
カードが5枚以上でチームに罰金という新しい規則が出来たそうだが、その5枚に誤審が、もしくは出されなかったカードについてはどうなるのだ?判定をした主審、副審にはなんのお咎めもないというのはおかしい。
審判団の方々も一生懸命やっているのでしょう。でも、選手は短いサッカー人生の中の一試合一試合を必死に戦っているのだ。選手の日々の努力を壊さないで欲しい。
選手がいないサッカーはない。夢を与えてくれるのは選手であって審判団ではないのだ。
正直言えば、イタリアのようにシツコイ!ってテレビに向かって叫びたくなるほど、同じプレーをリプレイして夜中まで延々と討論をする必要はないと思う。しかし、日本では議論が皆無と言い状態なのはどういうことなのか? Jリーグが始まって以来、ほとんど何も変わっていない。なぜ、日本人は議論を避けるのか。なぜ、日本のサッカー・ジャーナリズムはこの問題を避け続けるのか?議論はそこから始めなければならないのだろうか?
「臭いものには蓋」と言うが、今の日本の社会は「臭い」と思う前に「めんどうだ」「どーせムダだ」と「あるもの」を「ないこと」にしようとしていることが多すぎる。気がついたらその悪臭のひどさに、誰もがスタジアムに行かなくなりました・・・とならないことを祈る。
これからのサッカー界を築いていくのは、選手もファンも今、子供である世代だ。子供というのは、理屈ではなく感覚的に、汚いもの、間違っているのを見分ける力を持っているし、世の中がどう動いているのか、大人が何をごまかしているのかと言うことを、大人が思っている以上に知っていると思う。
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