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domingo, 20 de janeiro de 2008

美容院

いろんな日本語がカタカナになっていく昨今ではあるが、美容院は今も美容院と言われているよね。若い子も「今日、美容院に行く」と言う。「ビューティー・サロンに行ってくる」とは言わない。床屋もなのかな!?
どんどん変身を遂げている日本語にあって不思議かもしれない。

なぜ美容院の話題かと言うと、私は今日、美容院に行ったからだ。それだけのことなんだけれど、美容院って、食べる、寝る、働くという規則的な生活行動の中で、長年、規則的に行っていると言う意味ではかなり順位が高いように思う。鹿島にサッカーを応援に行くという行動だって、まだ10年ちょっとだけれど、美容院っていつから行っているんだ。中学? そうすると、●十年を軽く超える!

それなのに、なぞが多い場所である。
私は、あのシャンプー台がどうなっているのかちゃんと見たことがない。見たことがある人はいるのだろうか?
シャワーがどうなっているのか、シャンプーとトリートメントの容器の形状は?首を載せているところはどのような窪みになっているのか?顔の上に載せられる紙はティッシュなのかそれとも特殊な紙なのか?などなど。

「こちらへどうぞ」と言われて立ち止まってシャンプー台を観察するわけにもいかない。紙を載せられるときはなぜか目をつぶってしまう。

こんなに何もわかっていないのに、なんの危険も感じず無防備に横になってしまう。時には寝てしまう。そして、起きている時は実に意味のない会話を毎回行う。

「椅子の高さはよろしいですか?」

私はいつも「はい」と答える。いささか具合がよろしくないなと思っても、この高さがベストですという目安がわからない。だから、「はい」と。
もし、私が「ちょっと・・・」と言うと、高くしたり低くしたり微調整をして私が納得するまで高さ調整をしてくれるのだろうか。そうだったら、カルテに●さんの椅子の高さ床から80センチとか記入してくれれば、毎回、意味のない会話をしなくてすむのに。

しかし、そんな話は聞いたことがない。

「洗い足りないところがありますか?」と聞かれても、家で洗う何倍もの時間をかけて洗っているのだから、ないと思う。いや、私の友だちで「あります」と言ったヤツがいるらしいから、そうでもないのか。店によるのか、髪を洗ってもらっている人によるのか・・・・。

そして、「流したりないところはありますか?」と言う質問も不思議だ。髪を洗っている本人には、泡が残っているかどうか見えないし、髪をさわれないからニュルニュルするとかわからないのだ。感じるぐらいにすすぎ残しがあるような美容師は論外だろう。

どうでもいいと言えばどうでも良い話だが、美容院という言葉が不滅(今のところ)のように、美容院で行われている会話、特にシャンプー時の会話も何十年来、変わらないでいる。

こういうことが世の中、あってもいいかもね。

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