あんぱん
岸本佐知子さんの「ねにもつタイプ」と言う本、翻訳家の岸本さんのエッセイ集であるが、昨年読んだ本の中で唯一、ガハハ!と笑った本である。巷でも話題なので読んだ人も多いと思う。こちら。
岸本さんは前のエッセイ集「きになる部分」を読んだ時にも思ったが記憶力がものすごく良い人だ。それを文章に出来る力というのは、翻訳を職業としているのだから当然備わっているものだろうが、なんか、突き抜けている。
記憶していることを書く、考えていることを書く、より考えるために書く。書くことにはいろんな理由や動機があるのだろうが、私がここに書いていることはメモだ。ほとんどがメモだ。覚えているうちに書いておこう!後で読み返してみるとこういうこともあったなぁ~と思い出すために書いておこう・・・という「とりあえず」感がぬぐいきれない。
書くのにそれなりに時間はかかっているんだが・・・・。
前置きが長くなったが、「あんぱん」
私がほぼ一ヶ月に一度、買っているあんぱんがある。なぜ一ヶ月に一度かと言うと、そのパン屋さんの近くに一ヶ月に一度しか行かないからである。行っている先が病院であることを考えると、本当は半年に一度ぐらいにしたい。でも、あのあんぱんを買って帰って、日ごろ、評判がかんばしくない私の点数を上げる為には一ヶ月に一回ぐらいは買いたい。
私は、基本的に甘党ではないし、20歳になるまで「あんこ」は食べられなかった。しかし、親はあんこ好き。固くなったお饅頭の皮を残して中のあんこを食べてしまうぐらいの甘党だ。その親が「本家」よりずっと美味しいあんぱんだと言うのだ。
だから、おみやげに持ち帰れば私の日ごろの素行の悪さは2日ぐらいは忘れてくれる。
さて、12月の末のことだった。いつもどおり病院の診察が終わり、私の足はパン屋に向かっていた。今日は、C子と映画を見る約束もしているから、C子の家に、C子夫妻と母上の分で3個、わが家には5個で計8個だなぁ~と計算。パンに入っている餡子の量が多いから、これでもかなり重くなる。
信号を渡ってパン屋さんに近づいてみると、あれ、様子が違う。そうか、今日はもう午後も遅い時間だ。こんな時間に来たことはなかった。いつもは店頭に袋詰めにされて用意されているパンがない。「やっぱり、良く売れているんだ。美味しいからね。うれしいな」 しかし、店内に入ると・・・。パン屋の売り上げを喜んであげた優しい気持ちがあっと言う間に冷えた。
ガラスケースの上にいつもはずらりと並んでいるあんぱんがほとんどない。その代わりガラスケースの向こう側に立っているパン屋さんのトレイの上にあんぱんがぎっしり。10個以上は確実にある。それってどういうことよ。私の目の前に立っているエプロンをかけたままのおば様、いや、おばあさんがお買い上げのようである。「後ね、こちらのつぶあんを、そーね、6個、いえ、えーっと、8個にしてもらおうかしら・・・・」
ちょっと待て、その8個でつぶあんは終わりじゃないか。買い占めようって気か!エプロンばあさんには私の姿は見えないのか。他人に優しいのが昭和の女じゃないのか。私の鋭い視線を感じないのか。いや、感じているに違いない。その証拠に、トレイにパンを載せている店員がチラリを私を見た。目線がオドオドと泳いでいる。
いったい、このババア、いくつ買うつもりなんだ!残っているのはこしあんが2個と高級な栗入りあんぱんが10個ぐらいだ。栗入りあんぱんは私の眼中にはない。あんぱんなんてのはシンプルイズザベストなのだ。
呆然とする私を尻目に、このエプロンばあさん、「ひとつおまけをいただけるんですよね」とのたまう。私は知らなかったが、たくさん買うと一個好きなパンをおまけにくれるらしい。そして、このばあさんは選んだ。「その栗入りをくださいな」
死ね!
とは思わなかったが、う・・・・人間って・・・・。
ふと気がつけば、私の後ろにも人が一人、並んだ。この女性もあんぱんが目当てだろうか。残っているたった2個のあんぱん@シンプルイズザベストを私が買ってしまうと、この人は一個も買えないことになるのか。いや、高級あんぱんが目当てなら別だが。気のせいか、背中に冷たいものを感じる。第一、たったの2個しかない。私のあんぱんショッピングプランは見事に崩れ去った。
ばばあはエプロンのまま(ここで脱ぐわけはないから当たり前だが)、さわやかに会計を済ませ、どっしりと重い袋を持って出ていった。年寄りのくせに力があるな、おぬし。
「お待たせしました」となぜかビクビクと私に声をかける店員。「あの、あんぱんはこれしかないんですか?」と聞く私の声が未練たらしい。
「申し訳ございません」
「では、いいです」と店を出る私。
これで、私のうしろの人は、少なくとも2個は買えるわけだ。
「食パン、ください」
自分のバカさ加減にうんざりしながらも、私の気持ちは治まらない。
あのエプロンばあさんに言ってやればよかった。
「すみません。実は私、ここには3ヶ月に一度しか来られないのです(とちょっと大げさに言う)。家のものも、こちらのあんぱんを非常に楽しみにしておりまして・・・・。そちら様はお近くにお住まいとお見受けします(エプロンだし)。明日、明後日、一週間後でもいつでも買えますよね、このあんぱん・・・・・」
しかし、敵は年寄りだ。うちの親と同じぐらいだ。
「何を言っているんですか。こちとら、明日どうなるかもわからないって歳でござんすよ。ここのあんぱんは永久にあっても(それはありえない)、私の命は限られたもの。今、今日、この日にあんぱんが食べられなければ、後ろ髪を引かれて無事に往生できないってこともあるかもしれませんよ、お若いの(若さは比較対象によって違う)・・・・。ご両親のことを考えてみれば、たかがあんぱんで、そんな冷たいことを言えますか?」
と逆襲をくらっていたかもしれない。自分が思いっきり若ければ、若気の至りとか勢いで、「だってー、うちのー、ママがー、ここのあんぱん、超おいしいからー、買ってこいって言うしー」と逆転勝利に向け戦いを続けることが出来たかもしれない。しかし、この中途半端な年齢では、出す切り札がない。年寄りには勝ち目がない年齢である。
世の中、理不尽なことばかりだと身にしみた年の瀬であった。
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