Jeff Buckleyに思う
いつも以上に戯言。読んでもおもしろくない。でも、もしかすると読む人がいるかと思えば、ちょっとは真剣に考えて文章を書くので、ここに書いてみる。
Jeff Buckleyのことを最初にここに書いたのは6月だった。それからずっとJeffに取り付かれている。彼の曲を聴かなかった日は数えるほどしかない。たぶん、10日に満たない。
Jeffの何が、Jeffの音楽の何が、私をここまで惹きつけるのだろう? そう思っている人はたくさんいるようでブラッド・ピットもジェフのファンだということを知った。
「彼の音楽の底には何かがあるんだ。的確に指し示すことが出来ない何かかが。素晴らしい映画や、アートのように見えないところに何かがあるんだ。そこにある真実の何かが。彼の音楽は忘れてしまうなんてことは出来ない。僕の皮膚の下に・・・ある」
以下、いつも以上にとりとめのない文章。
生前に残したアルバムが一枚、死後には製作途中だったアルバムが一枚出た。それ以外にはライブ版が何枚か出ているけれど、彼の短い人生で演奏した音楽は非常に限られた曲数でしかない。それを繰り返し聞く。ライブで本領を発揮する人だったらしいし、同じようには演奏をしない人だったので、それぞれ違ってはいるけれど、本当に少ない曲なのに、聴くのを止めることができない。
ジェフの音楽はロックだけれど、好んで演奏したボブ・ディランの歌はフォーク・ロック、エディット・ピアフはシャンソン、ニーナ・シモンはジャズ、果てはオペラまで歌っている。「気持ちが入らなければ歌うことなんて出来ない」とジェフ本人が言っているが、ジャンルを超えてすべての歌にジェフのすべてが投げ出されていうように思う。おそらくオリジナルを聞いても「同じメロディ、同じ歌詞」というだけで、ジェフの歌を聞いて感じることは得られないと思う。持ち歌がオリジナルかどうかなんて、ジェフを前にしては意味がない。他人が作ったものであっても、ジェフは完全に自分のものにしてしまうのだから。
それにしても、駆け抜けていった人生。生きていたらどんな音楽を続けていたのだろうか? 私もライブに行けたのだろうか? 凡庸に人生を送るものからすれば短くても素晴らしかったと言えるのかもしれない。でも、本人は無念だったと思う。死の瞬間に何を思っていたのだろうか?死を無意識のうちに感じていた、もしくは、人生の岐路に来ていることは感じていたのではないだろうかと言われているけれど、30歳で人生が終わってしまうなんて悲しすぎる。
中川五郎氏が1995年1月号の「クロスビート」でジェフのパフォーマンスを「歌い手自身の心の盛り上がりと共に、歌が自由自在に広がり舞い上がっていく」、「特に感性の赴くまま、千変万変する彼のヴォーカルには、激しく心を揺さぶられ、ぼくは身震いがとまらなかった。愛や別れ、苦しみや喜びを、声を振り絞るようにして歌うステージのジェフは、妙に神々しく見えたりもした」と書いている。そして、「すごい」の一言だと。
新宿のLiquid Roomで撮られたブートレグを聞いていたら、オーディエンスが日本語で話をしていてそれが耳に入ってきてしまう。 「すごい、すごい、こいつ、すごいよ~」って言っている声が。思わず、あまりにも純粋に感動しているので微笑んでしまうけれど、本当にすごい。言葉で表しようがない何かがブラッド・ピットが言うようにあるんだけれど、言ってしまうならば「すごい」。その場でジェフの生演奏を聴いていなくても、CDだけでも「すごい」と言ってしまう。これはボキャブラリーが貧困だったり表現力が足りないってことではないんじゃないだろうか。
でも、無理やり、言葉を尽くして語ろうとするなら、私にとってジェフを聴くということは、ジェフが悲しみや辛さを持って帰ってくれるからだと思う。ジェフの歌は人を泣かせる。でも、それは単なる「泣かせ」の歌ではない。心を解き放ってくれる涙なんだと思う。
Remember me, but ah! forget my fate.
(Dido's Lament)
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