domingo, 24 de setembro de 2023

きのうは、いい日だった その1

8月の市報を見た時は、びっくりして2度見、3度見をしてしまった。
鹿島のハセさんが市のイベントに来る! しかも、高齢者のためのイベントだ!
自分がシニアになったことがこれほど嬉しかったことはない。

前日、何にサインをもらおうかと家の中を物色する。
ユニを着ていこうか、しかし、2番とか13番のユニしかない。タオマフもだ。
こういう時のために12番を用意しておくべきなんだなぁ。

写真? 2ショットはあるけど、自分の変わりようにうんざりしてしまう。
ハセさんの逆転ゴールを収めた写真があったので、ピンボケだし、Lサイズで小さいけど、
剥がさずにそのまま持っていくことにした。

でも、果たして、ハセさんはサインをしてくれるのだろうか。
現役時代は無愛想で有名でファン泣かせだったのだ。うーむ…。

そして、当日!
寝坊をしたにも関わらず、30分も前に到着した自分。まさしくシニアの行動である。

鹿島のロゴが入ったポロを着ている人たちがいる!それだけでテンションが上がる。

あ、それに今、私の前を通っていった人はハセさんではないか!
マスクしてるけど、少し太めになっているけど。

あー、もう緊張してドキドキしている。この感じ、懐かしいなぁ。
今まで、鹿島でパリでミラノでブレシアでサンパウロでリオで
こういう思いをしてきた。たまらない!

イベントとは体力測定である。当然、その前に血圧のチェックがある。測ってくれた鹿島のスタッフに長年のサポーターであることを告げる。
すると、なんと、すぐにハセさんに鹿島のサポーターの方がいらっしゃいます!と伝えてくれた。

ので、厚かましくあとでサインが欲しいと伝える。
肝心の血圧は190! びっくり仰天して、さらに血圧が上がりそうだ。
人とは緊張して興奮するとこんなに血圧が上がるのか。

 

 

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sexta-feira, 25 de agosto de 2023

備忘録

ぼっと考えていることのリスト。それすら、リストにしないと忘却の彼方へと飛んでいく。

サッカーの応援って何だろう

推しと結婚と推し活 または、妄想なのか幻想

女子サッカーのこと。私には何ができるでしょうか

ウーマンリブからフェミニズムへ 勉強したい?

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長く暑い夏のせい?

ちょっとというか、かなりダレている。母が亡くなって8カ月。勢いで遺品を整理したり、家を綺麗にというか、清潔な感じに整えようとしてきたけれど、ここ2カ月ぐらいで徐々にスローダウン。まもなくエンジン停止かしら。

父の時も似たようなことは経験した。生活する上で必要な諸手続きもあり、追い立てられるようにして動き回る。躁状態に近いのかもしれない。そんな状態はずっとは続かない。疲れるのか飽きるのか、どうでもよくなるのか、そのすべてなんだろうけど、日常に戻る。以前の生活に戻る。でも、ふむ…困ったものだ。以前の生活には母がいた。母の世話をするという大きな、大き過ぎる責任が生活の中心にあった。今は何もない。

それでいて、中途半端な片付けに終わっている家の中が気になる。雑草だって伸び放題だ。しかし、この暑さの中、蚊に刺されながら草むしりをする気にはならない。

少し涼しくなれば、何か変わるのだろうか。そう願いたい。季節と移ろいとともに生きるワタシ…。

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quarta-feira, 16 de agosto de 2023

感想文:椹野道流著『祖母姫、ロンドンへ行く!』

久々に一気に読んだ。読みやすかったということもあるけれど、まるで映画かドラマを見ているように情景が浮かび上がってきた。そのせいか、読後も時折、脳内で「祖母ロン」が再生される。

おそらく30年近く前の話だろう。こんなに豪勢で優雅な旅の経験はないけれど、はじめのアフタヌーン・ティー、異国の地で食べたお寿司、デパートの香水売り場の匂いなどを思い出しながら、声を出して笑ったりホロリと泣いたりしながら読んだ。80代のおばあ様は姫なので、したい放題、言いたい放題である(といっても、体力に限りがあるので24時間続くわけではない)。介護&添乗&通訳&ガイド&身内である著者は頭に来ることも多々あったと思う。時間が経って振り返って書くことで、思い出が美しく残され、読者もワクワクさせてくれた。最高である。

それにしても、自信満々なおばあ様が素晴らしい。なぜ、そんなに自信があるのかという孫の問いかけにもしっかりと話をしてくれる。孫の性格の問題点にも踏み込む。この旅のあとは、おばあ様とあまり話さなかったと書いてあるけれど、これだけで十分すぎるぐらい十分だと思う。

読んでいる私にもグサグサと刺さった言葉を要約すると、あなたに足りないものは自信。自信がないだけじゃなくて、自分の値打ちを低く見積もってる。謙虚と卑下は違う。相手に見くびってもらって楽をしようとするのはやめろと。それは謙虚ではなく卑下でみっともない。楽をせず、努力しなさい。

自分が謙虚な人間だと思ったことはないけれど、若いころから自信がなかった。劣等感の固まりだと思っていて、中学のころ、「なんで? そんなことないよ」と言われたこともあった。しかし、成績優秀、何かに秀でてる、自信満々に見える、そういう人たちに囲まれて、今も自分に自信がない状態は続いているのだと思う。明るくサバサバした性分で言いたいことをはっきり言うので、傍目にはそのようには見えなかっただろう。しょっしゅう、親に叱られていたので、自信のなさを親のせいにしてきた。歳を取って、できないことに対して、自信が持てないことに対して、おちゃらけて開き直ってきた。万が一の失敗を恐れて、自分の評価を下げてきた。まさに卑下である。そんなふうに生きてきて、今や65歳と7カ月。本から容赦なく飛んでくるグサリグサリ。正直言ってきつい。

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片付け中間報告…チュウカンなのか?

片付けが終わらない。まったく終わらない。一生終わらない気がしてきて気持ちが悪くなることすらある。そもそも必要なのかと思ったりもする。生活できないわけじゃないし、このままでいいんじゃない?

しかし、ここまでだらしがない人だとは思われたくない。万が一にも私がバッタリ倒れた場合、この家に入ってくる人はどう思うだろうか。

「まぁ、汚い家! 散らかり放題! よーくこんなところで生活できたわね! 足の踏み場もない!」と言われたくない。単なる見栄である。それとも恥の意識だろうか。部屋の入口に「片付け中」という張り紙を貼っておきたくなる。

でも、片付けるのは捨てたり、日本人が大好きな収納を頑張ればいいのだ。簡単と言えば簡単だ。そのはず!

問題は…

この家の「主婦」だった母は、整理整頓が得意だったわけではない(一時的に押し入れや洗面所に物を移動させるときはマッハの力を発揮していたが)。潔癖なほど徹底的に掃除をしていたわけでもない。背も低かったから高いところは面倒だったのだろう。使うこともなくなる。それと、亡くなって思うことは、家事をするより遊ぶことを優先していたのだなと。その気持ちはよく分かる。

私は私で「自分の家じゃないもん…」と自分の部屋以外の様子をちゃんと見たことはなかった。だから、今、家の中を目を凝らしてみると、51年に及ぶ汚れと経年劣化ですさまじいことになっていて茫然としている。写真に撮れば、間違いなく「閲覧注意」である。掃除を徹底的にしたところで無理があるんじゃないかと思う。

そうは思っても、仕方がないので母と過去の自分を恨みながらボチボチやっている。床が抜けるのではないかと心配だった畳の部屋はフローリングにした。押し入れをクローゼットにするとか、段差をなくすとか考えたけれど、予算のこともあり、床の間、柱、壁はそのままである。昔の板の間と思えばいいと決断した。インスタもこれまでにないほど見ている。多いに参考にさせてもらっている。Googleの画像検索も便利だ。
今の趣味はよそ様の家の中を覗くのことだ。みなさん、工夫して素敵に暮らしていらっしゃる。文句があるとすれば、古民家だとか築古とか言っていても壁も床もリノベーションしているから綺麗なものである。この51年前の壁を取り払って新しい壁にするとか、年金暮らしには無理である。

せめて、清潔感、整理整頓だけは心がけられるようにその土台を作りたいと思っている。つまり、手が届いていなかった場所の51年分の汚れと取るところからだ。取れるのか? 取れないと思う! どうする、〇〇(本名)!

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domingo, 13 de agosto de 2023

激動の1か月!?

高齢者にとって小さなことが今までの生活を一変させるという様子を目の当たりにしたひと月だった。

ご近所に50年に及ぶお付き合いの家がある。高齢のご夫婦で「なんとか生活をしている」様子で、夫婦が協力しあって自分の家でマイペースで生活していられるのは素晴らしいなと思っていた。一応、説明すると、「なんとか生活している」は、たまに間違えたとしてもゴミを出し、毎日料理をしなくても食事ができて、近所に買い物にいき、お風呂にも入れるということであって、家の中が整理整頓されているとか、言われたことを100%理解しているとか、覚えているということではない。でも、でも、その「なんとか生活している」が小さなことで、あっという間に「生活できない」になってしまった。今までの生活が崩壊した。

老々介護の危うさを他人事ながら痛感したというのも変だが、歳をとるというのはこういうことであり、次は私たち世代なんだと、どこの何に突きつけられているのか分からないけど重い。

親世代の寿命が長く、90歳越えの親がいる人はざらにいる。デイサービスで、90歳の母は若手ですと言われていたぐらいだ。だから、その子供世代がすでに高齢者の仲間入りをしている。老後を迎えている人が老後の先輩を介護している。

非常にリアルな現実を目の当たりにしながら、暗澹たる気持ちにもなるけれど、考えるきっかけにはなる。よく言われるように、どう死ぬかはどう生きるかなのだから。

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domingo, 16 de julho de 2023

『ぼけますから、よろしくお願いします』と続編

『ぼけますから、よろしくお願いします。』と続編の『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』を観た。

もっと早くに観ておけば、母に優しくしてあげられたかな。でも、このタイミングだったのかもしれない。

本の虫で新聞の切り抜きが好きなお父さん。社交的で書道をしているお母さん。おしゃれを気にするお母さん。美容院に行って綺麗になって喜ぶお母さん。見たことがあるタッパーウェアにコーヒーミル。うちとほぼ同じ年代と同じ家族構成。これはうちのことですか?

あの時の母の態度に理由はやはり認知症だったのかな。
自分へのいら立ち、不安だったのかな。
理解してあげられなくてごめんなさいと思うと今も涙が出てくる。
でも、暗いドキュメンタリーではない。
お母さんが思いっきり落ち込んでいる横で鼻歌を歌い続けているお父さん。耳が遠いということもあるだろうけれど。
喧嘩をしても、忘れちゃっているのかもしれないけど、仲直りをする二人。

うちは、父が先に亡くなってしまって、残された母と子の介護生活だったけれど、父が生きていたらどうなったのかな。
動けない母をサポートしたのだろうか。それとも座ったまま、「めし!」なんて威張っていて私をイラつかせたのだろうか。

これはお隣のおじさんに似ているとか、
友だちのお母さんみたいだとか、
デイサービス、日本全国同じとか、
玄関に座って挨拶をする昭和な人たちとか、
日本のあちこちで似たような生活が営まれているんだろうなとか、
私のこれからはどうなるのだろうかとか、

とにかくとにかく、いろんな気持ちが忙しく私の頭の中で駆け巡った。

娘さんである監督のインタビューにあったように、動画を撮っておけばよかった。
確かに写真はせつないし、歳を取ってからはほとんど撮ってなかった。
親にレンズを向けるというのは、照れみたいなものもあった。
スマホで気軽に撮れば良かったのよね。

それに、娘さんのやさしさは、レンズを通して見ているから冷静になって優しくなれているのかなとも思う。

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sábado, 15 de julho de 2023

好きなものに囲まれたい

書きたいなぁと思うことは多々あったのに何か月も過ぎてしまった。
PCを開くのが面倒というか、スマホが簡単するぎるんだ。
このブログもスマホから入力できるのだろうか。きっとできるよね。
でも、ますます誤字脱字だらけになってしまう。

さて、しばらく書いてない間に、和室をフローリングにして破れていたふすまの張替えをした。
ついでに、リビングの壁紙を張り替えた。必要最低限のリフォームになったけれど、そこそこ満足している。

今のところ、和室はのっぺらぼうって感じ。
大昔からうちにあるサイドボードを和室に移動させただけで、ソファもテーブルもない。
母が使っていた介護用の椅子を仮に置いてテレビを見ているけど、相変わらず、この部屋に布団をしいて寝ている。

こうしたい、ああしたいという夢はある。

床の間はそのままなので、今は椅子に乗せているスピーカーを含めて収納スペースにしたい。

本と書類、CD、レコードを収納できる棚がほしい。
デスクもほしいな。仕事をする予定もないけれど、書斎にしたい。
友だちが来たら、まったりできる場所にしたい。

キッチンに手を付けてないのは、汚れすぎているし、本格的に綺麗にするにはお金がすごくかかるから。
自分でできるところまで掃除をして、見込みがあるようだったら次を考えよう。

今まで関心のなかった家具や他人様の部屋の写真を見るのが楽しい。

考えたら、この家は親の家で、自分の部屋は好き勝手に家具を買って好きなものを貼ったり飾ったりしていたけれど、
この家の生活すべてが自分の好みにできるっていうのは初めてだ。

食器とか、こんなにたくさんいらないとバンバン捨てているけれど、
自分の好みの食器は買いたかったりするから困ったものだ。

もちろん、お金がないので、妥協とアイディアで楽しみたい。

自分の好きなものに囲まれて生活したいと思う。

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segunda-feira, 15 de maio de 2023

特急に乗る

また、ノートからの書き写し。

5月11日

旅に出る。水戸まで。日帰りで。

水戸は1時間ちょっとで行けるのだから、鹿島より時間的には近い。
でも、鹿島行きと違って旅だと感じる。
特急券を買って指定席に乗ったせいかな。

ガタゴトガタゴト。

車内販売はないと思っていたけど、ある!
嬉しいなぁ。コーヒーを買おう。

近頃は車掌さんの乗車券チェックがない。これは旅情が薄れる。

かつては、車掌さんの姿が見えたら、自分の番が来たときに
慌てず、乗車券と特急券を出せるようにバッグの中を
ゴソゴソやってチケットを手に待っていたものだ。

車掌さんは乗車券を確認して「〇〇までですね」と一言二言話しながら、
券に穴をあける。それとも、ハンコだったかしら…。
乗車券か特急券を購入していなかったときは、
駅名がびっしり印刷された縦長の紙を出して、
ポチポチと駅名に穴をあけてお金を回収していく。

あー、懐かしい。

あ、車内販売が来た。物静かだ。
名物の〇〇をお土産にいかがでしょうか、
ビールにコーヒー、アイスクリームとか言ってない。
コロナのせい?

楽しみにしていたコーヒーも缶しかなかったので買わなかった。

しかし、この特急はけっこう揺れるな。
酔いそうだから、書くのは、ここで止めておく。

 

 

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似た人

PCを開けるのが面倒でノートに書いていた。書き写す。

4月28日

時々、街で父に似た人をみかける。
亡くなって丸5年半近くたったのだから、
本当は全然似ていないのかもしれない。

似ている人は、背が低くて白髪。眉だけが黒い。
丸い顔に眼鏡をかけている。
ちょっと不機嫌そうだ。

「似ている。本人だったらいいのに」と愚にもつかぬことを思う。

骨になって小平霊園でその他大勢の人たちと一緒になったのではなく、
実は生きていました、ちゃんちゃん!なーんて。

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