sexta-feira, 24 de março de 2023

暇と退屈

「老人の1日は長く、一年は短い」と言うが、今のところ、私は「1日も1年も短い」と感じている。
老人の域には達していないということか。

母は自分で出歩けなくなってから、日々、退屈していた。そして、何よりデイサービスが「退屈」だと言っていた。スケジュールだけを見れば、到着後に検温だ血圧だとバイタルチェックして入浴、ベッドでひと休みしたり脳トレをして、昼食、昼食後はお習字、おやつの時間が終われば、帰る準備と大忙しだ。でも、退屈で仕方がなかった。暇はなかったかもしれないけど、生活が退屈だったんだろう。

85歳ぐらいまでは、毎日のように出歩いて、友だちに会ったり、麻雀をしたり、家にいるときは手芸をして、それこそ忙しく過ごしていた。退屈するのが嫌で何かしていたのかもしれない。特に人と話すのが好きだった。単なるおしゃべりだけど、楽しかったんだろうな。それが、家にいるようになって、私では話し相手にもならず、電話をする先方が認知症になったり、さらに、自分自身も発話も難しくなりつつなり…。

頑張って生きてきたのに、人生の最後がつらいってどういうことかな。
高齢になれば、母だけではなく、大変な思いをしている人は多い。そういうものなんだろうけど、気の持ちように退屈せずに過ごせるのだろうかしら。

 

 

 

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quarta-feira, 22 de março de 2023

趣味そして残されるモノモノモノ

母は手の人だった。手を常に動かして何かを作っている人だったから、私が横になって本(マンガ)を読んでいる姿は「何もしていない」と映ったらしく、よく「怠けていないで何かしなさい」と言われたものだ。

私が知る限り、母はフランス刺繍に始まって編み物、パッチワーク、ビーズという手芸に次から次に熱を上げていた。

手先が器用だったのだろう。父と私は母の趣味に関心を抱いたこともなく、「よく飽きもせずにするな」ぐらいな気持ちで見ていた。亡くなってしまった今は、どうしてあんなに夢中になってやっていたのか聞けば良かったと思う。「きれいだね」とか「すごいね」ぐらい声をかけてあげればよかったのに…。

刺繍は目が悪くなったから刺せないと言って止めたが、ド近眼の私からすれば、母は死ぬまで目が良かった。どうして辞めたのか知らないけど、作品を「残すもの」と「捨てるもの」に分けられる元気があるうちに止めていたので、ほとんど作品が残っていなかった。残っていたものも、適当に押し入れに放り込んであったから、シミや汚れがたくさんついていた。とりあえず、クリーニング屋さんに修復をお願いした。

編み物は、編みかけのものも含めてセーター、カーディガンが5枚ぐらい残っていた。素人目に見ても、すごく手が込んでいて、よくこんなのが編めたなと思う。気にいた一枚を残して、残りは母の妹である伯母に送った。伯母も手の人なので、毛糸をほどいて再利用するそうだ。

パッチワークは、完成品がなかった。家の中に完成品があったという記憶もあまりない。ハワイアンキルトの大作が作りかけのまま残されている。これは、どうしろと?

そして、ビーズのアクセサリー。母が元気だった時に残っていたビーズ作品を人に分けると言い出したので、母のお友だちや私の友人にかなりの数を引き取ってもらった。しかし、まだまだ残っている。思わず、このビーズにかけたお金で本物のジュエリーが買えたなと思ってしまった。指輪は小指にしか入らないぐらいに細い。ペンダントやネックレスはステージ衣装になりそうなぐらい派手だ。

もうこれ以上は出てこないと思うが、自分が死んだあとも残る趣味として手芸は悪くない。気に入った人が使えばいいし、再利用もできる。

そういう意味では、私の趣味だった写真は箸にも棒にもかからない。芸術家かぶれでワザとぶらして撮った写真は意味不明だし、風景写真(自分でもどこで撮ったか忘れている)はそれだけ…。そして、おびただしい数のサッカー選手の写真。最近のファンが撮っているような素晴らしい写真ではない。腕が悪いのもあるが、何よりカメラの性能が違うと言いたい。念のために言うと、データで残っているのではない。フィルム時代はもちろん、デジタルになってからもプリントしている。最悪なのは、同じ写真をL、KG、2L、なんなら四つ切とサイズを変えて何枚もプリントしていることだ。自己満足だけで成り立っている趣味!? 困ったもんだ。

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terça-feira, 14 de março de 2023

パソコン

https://twitter.com/yonakiishi/status/1634899244787331072?s=20

ライターの鈴木智彦さんがツイートしていた「毎回毎回、そしておそらく死ぬまで、パソコンにかかずらう時間と手間が膨大すぎる。覚えることが多すぎる。有料で指南してもらったほうがストレスがないのでは。」に同意する。特に今、私はWindows8のPCから11へ移行中なので、身に染みる言葉だ。古いPCからデータを移行しようとしているのに、こういう時に限って、メーラーが動かなくなり、プリンターが「データ処理中」のままでウンともスンとも言わなくなったりする。頭が痛すぎる。プリンターは電源を切ってしばらく放置していたら動き出したが、ネットで解決方法を探ったりとどれだけの時間を費やしたことか! メーラーにいたっては、調べても解決しないのでそのまま放置している。この際、過去は捨てて新しい人間関係を作れってこと? まぁ、スマホのデーターとアドレス帳で何とかなるだろうけど。

1995年当時、私は二回り近く年上の上司と2人事務所で働いていた。阪神大震災でパソコンが役に立ったということを知り、「これからはワープロではなくてパソコンらしいですよ」と上司に掛け合い、IBMのパソコンを100万円以上かけて購入してもらった。正直に言って、パソコンが何か分かっていなかった。当然だが、使い方がわからない。聞ける相手もいない。そんな状況でスタートした私のPCライフも丸28年になるから、よく頑張っていると思う。本当に孤独な、一人空回りの闘いだ。もちろん、友人や本に助けてもらっているし、その力は大きい。でも、一時期、IT系の会社で、短期間だけ働いたときには、質問すればすぐに答えてくれる人が近くにいるって素晴らしいと思った。ノートPCの画面が小さくて目が疲れるといえば、さっさと大きなモニターを2つもつないでくれた。天国だったなぁと思う。

現在、PCは100万円するわけじゃないし、スマホのほうが高いぐらいだ。それでも、なぜ、お金を払ってこんなに面倒な思いをしなくてはならないんだろう。もうちょっと簡単に使えないものかしらね。冷蔵庫はえらい。電源をつなぐだけで快適な生活をもたらしてくれる。ドアを開けたり閉めたりするだけだ。あ、もしかして、今どきの冷蔵庫は設定が必要だったりするんだろうか。うちの冷蔵庫は2001年製。買い替えるときが怖くなってきた。

 

 

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quarta-feira, 15 de fevereiro de 2023

コレが欲しい!

家の近くの100均に行った時のこと。

3歳ぐらいの子が地面に這いつくばるようにしてというか、しゃがんで、棚の一番下にある何かを掴んで母親に、これが欲しい!と訴えていた。まだちゃんと話せていないけれど、全身から「わたしは、コレがいいの!」と表現している。レジを済ませていた母親は子供の言うことは聞いているけれど買ってあげるつもりはないらしい。それでも、何かを握りしめて粘る子ども!

その日、私はウィリアム・モリスのデザインを使った箱やクリアファイルやラッピングペーパーが100円で売っているとツイッターで見かけて、それ目当てに100均に行ったわけだが、私と3歳の子の共通点を発見した。「これが欲しい」という物欲だ。高齢者と言われる年齢の私もこの世に生まれ落ちてまだ3年ぐらいの、ロクに話もできない子どもも「これが欲しい」というツヨい気持ちを持っている。

私は何歳から物欲にまみれているのだろうか。物欲は何がきっかけで生まれるのだろうか。なぜ、こんなにもモノを欲するのだろうか。石器時代に物欲はあったのか。次から次に疑問が湧いてきた。初めて心の底から欲しいと思ったのは何かは覚えていないが、母に「言い出したらきかない」とか「しつこいわねー」とか言われた記憶はある。他人に比べて特段に物欲が強いとは思わないし、家計を破綻させてまで物を買ったことはないけど、100円のものから数10万円(かわいい金額だ!)のものまで、今も欲しいものが10個ぐらいはある。

人の物欲はいくつになったら枯れるのかしら。枯れないのが元気の素かもしれんし…。

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quarta-feira, 8 de fevereiro de 2023

断捨離と遺品整理

断捨離もこんまりも不要だと思う。自分が心地よい生活ができるなら、そのままでいいんじゃないかと思う。
読みたいと思って買った本、好きな選手や俳優の写真、試合のビデオ! DVD、自分で撮った写真、外国で買ってきた、くだらなくてかわいいもの等など。そういったものに囲まれて生活できれば最高だ。

奈良美智さんがツイッターに上げる部屋の写真や展覧会で見られる部屋の様子は、あこがれだ。奈良さんが好きなものがきれいに飾られているし、古いレコードや自分が描いたものが取ってある。そのスペースが羨ましい。現実は、足の踏み場もない!である。自分の部屋に入りたくない。片付けなければならない。気持ちよくいられる部屋にしたいと思う。

もうひとつ、私が直面している現実は、父や母の遺品整理だ。父が亡くなった時、洋服や靴はあっという間に片付けた。ゴミとチャリティだ。量が少なかったから楽だった。それと、亡くなった直後は妙なアドレナリンが出ていて、片付けなければ!となっていた。しかし、2か月も過ぎると、「2階にある本は、あとでいいかな」となった。

そして、あっという間に5年近くが経過した。去年の10月ごろ、私が死んだら、この家に残された膨大な物はすべてゴミとして処理されるんだなと思い当たった。そんなことは当たり前だし分かっていたつもりだったんだけど、自分のものはともかく、父の本もゴミになるのかとズドーンと来た。価値のある本だとかそういうことではない。本好きだった父が読んでいた本だし、図書館や古本屋に行くのが定年後の父の毎日だった。3.11の時も古本屋にいた。入院する直前に私に言ったのは、「わるいな。この本を図書館に返しておいてくれ」だった。時々、何冊かまとめて紐でくくって捨てていたから、今ある本は残したい本だったのかなと想像した。父が古本屋を回って本を探したように、ここにある本を必要とする人がいるかもしれない。古本屋さんに持っていこう。不肖の娘ではあるが、娘としてやらなければならないと思った。

200冊以上あったけれど、新書、文庫本が多いため引き取りには来てくれない。というわけで、私は週に2回ぐらい古本屋通いを続けている。ちょっとした筋トレである。本棚の空間がどんどん広がっていく。あと少しだ。空いたスペースには、とりあえず、床に放置されている私の本を入れようか。それとも、古本屋通いを続けようか。

母の遺品整理については、またの機会に。

 

 

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sexta-feira, 3 de fevereiro de 2023

orphant

自伝的作品『フェイブルマンズ』を監督したスピルバーグが、高齢の父親を亡くした時に「orphant」になったと感じたとインタビューで語っていた。その時、スピルバーグ監督は70歳を超えていた。お母さんが亡くなったのはその数年前なので、自分の人生の大半の時間に「両親」がいたということだ。

この話に70を過ぎて「孤児」はないだろうという意見も見たけれど、私は母が亡くなって「とうとう、みなしごになってしまった」と感じたので、スピルバーグの気持ちは分かる気がする。

自分を覆ってくれていた屋根がなくなってしまったような、寄る辺ない気持ちになった。

何かあれば親に相談していた子だったということはない。どちらかと言えば、何もかも自分で決めて親のアドバイスは聞かなかった。一緒に行動することもほとんどなかった。それでも、orphantなのだ。不思議だな。

 

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sábado, 28 de janeiro de 2023

感想文:小田嶋隆著 『諦念後 ーー男の老後の大問題』

本のタイトルに「男の老後の大問題」と書いてあるが、女の老後と読み替えてもいいと思う。
特に仕事を続けてきた女性が会社という組織を定年退職したり、仕事をしてお金を稼ぐということに終止符を打った後というのに男女差はあまりないというか、私は、何度も首を縦に振りながら読んでいた。身に覚えがありすぎる。

まず、帯にある「ジジイだって、歳を取るのは初めての経験なのだ。許してあげてほしい」。
これをそのままババアにしてほしい。レジでサイフから上手に小銭が取り出せず、後ろからの視線に焦りまくったり、頑張ってスマホにアプリを入れたけれど、指先が乾燥していてタッチがうまくいかなくて支払いができず、結局、現金で払っても許してほしい。

第一章では「そして、自身の老化に直面しようとしないことこそが、最も深刻な老化であるという一種屈折した経過を経ながら、われわれは困ったジジイに変貌していく」
これもババアでよし。美容院で「もう髪を染めるのは止めようと思うのよ」と言いながら、心の中では、「いやいや、まだですよ」という言葉を期待しているのだ。「年齢相応にグレイヘアがいいですね」などと言われたら、きっとキレる。その美容院には2度と行かないだろう。

ギター、ジム、断捨離、終活、同窓会、植物…。どこかで誰かが似たり寄ったりのことをしている。

小田嶋さんの文章は皮肉とユーモアが効いているけど、笑いながらもグサっと腹や胸に刺さってくることが多い。だから、副題に「大問題」と入っているのだ。今の私は、第14章の「定年後、何歳まで働けばいいのか考えてみた」が大問題である。これは、年金額、貯蓄額・資産に大きく左右されることではあるが、小田嶋さんは、われわれの昭和の先輩方のように「カネ」のために働くというのが、本来の労働だ。「夢」「自己表現」「生きがい」などという、なんか耳にやさしい、これが正しい道だと聞こえるような言葉に騙されてはいけないと言っている。なぜなら、「われわれの国は、一部の金持ちの下で貧しい者がさらに貧しい者から搾取する、そういう情けない国に変貌しつつある」からだ。そうだよ、老後になって、そんな悪巧みに一枚噛みたくはない。

それにしても、亡くなられて残念だ。まだまだ、書き続けてもらいたかった。合掌。

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quarta-feira, 25 de janeiro de 2023

感想文:村井理子著『はやく一人になりたい!』

ツイッターも面白い、翻訳者・エッセイストの村井理子さんの新刊を読んだ。過去に雑誌などに掲載されたエッセイと書きおろしをまとめた本で、本屋でチラリと立ち読みをしたところ、記憶にある文章もあったが、なんと言ってもタイトルに惹かれた。気になる。

ところが、タイトルになった章は私が考えていた内容とは違った。
世の中のしがらみ、家族、ご近所さん、そういったことから離れて一人になりたいという話かと思っていたのだが、村井さんは一日の暮らしの中で夫と子どもたちを家から追い出して(失礼!)、ひとりで仕事と向き合う時間をはやく寄こせ!と言っているのだ。

正直、想像していたことと違ったというがっかり感はある。しかし、ちょっと考えてみれば、当たり前のことだ。自分の家族(妖精である夫さんと双子の男子高校生、イケワンのハリー)から離れたいわけがない。別の章では子離れの辛さについても書いてあるぐらいだ。

私にも末端の翻訳者として在宅で仕事をしていた経験がある。だから、仕事中は誰にも邪魔されたくないという気持ちが痛いほどわかる。他の仕事でも同じかもしれないが、一瞬でも他のことで翻訳を中断してしまうと、翻訳脳に戻るのに時間がかかるのである。それが辛い。座りっぱなしではエコノミー症候群になるかもしれぬと自らお茶を入れにいったりするのはいい。外圧というか、自分の意志に反して翻訳を中断する羽目に陥ると、絶望とまでは言わないが、がっかりしたり、イラついたり…。

村井さんの他のエッセイと同様にグイグイと引っ張られるようにして読んで、時には声を出して笑ってしまったが、涙なしで読めなかったのは「家族のことを頑張らない」の章だ。つまり、本の冒頭から泣いていて先が思いやられた。

私には子供がいないから、村井さんが母として書いている部分では、自分の母親と重ねて読んでしまう。母もこんな気持ちで私を育てたのだろうかと、今更だが考えてしまった。幸せだったのだろうか、楽しかったかな。辛いことのほうが多かったかな。苦労の原因は私かなと。村井さんちの息子さんたちの100分の1ほども優しくない私は申し訳なさで胸がつぶれる。母が生きているうちに考えることができれば良かったのに。

母を介護するとことになり、私は人生で初めて人の世話をする、人のことを気にかけなければならないという状況に陥ったのだ。陥ったとか言っているぐらい、60年近く自由きままに自分のことだけを考えて生きてきた私が、初めて家族のために何かをする、時間を使うという日々を過ごすことになった。介護と子育ては全く同じではないかもしれないけれど、他者のために自分がいなければ、私がやらなければという気持ちが生じるのは似ている。そして、女性に対して向ける社会の目も同じだ。どれだけ多くの人が「娘さんがいてよかったわね」と母に言ったことか。それは、自分と同居して面倒を見てくれない息子や娘への愚痴だったかもしれない。愚痴であり、世の中の高齢者の大半は、娘(もしくは嫁)が親の介護をして当然と思っていることの証である。何度も繰り返される、このセリフを聞く度に笑顔を浮かべながら、私は心の中で「そういう言い方、よしなよ、おばさん」と叫んでいた。介護をしている娘も、していない娘もいろんな葛藤の中で生きて、選択をしているのである。そんなことはおかまいなしに、思うがままに振る舞うベテラン高齢者たちよ…。辛いよ、当事者は。

だから、家族の世話をしている人全員に村井さんのこの言葉をよく読んで、考えて自分のものにしてもらいたい。介護が終わってしまった私は、自分自身のこれからを考えるときに忘れずにいたい。

「家族の幸せと自分の幸せは別ものだ。家族の幸せを願うのならば、なにより自分の幸せについて考えなくてはいけない。自分を削って無理をすることが、愛することだと勘違いしていた私がいま考えるのは、そんなことだ。自分を大切にして、無理をしない。そう思えた瞬間から、目の前が開けていくのだと思う」

 

 

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quarta-feira, 18 de janeiro de 2023

水曜日

4か月ぶりに持病の薬をもらうために都心の病院へ行った。
順調に診察&会計が終わったのが11時半過ぎ。
血液検査の結果で「H」マークがコレステロールと中性脂肪に付いていた。
「これは、やばい」。時間もあるしと銀座に向かって歩く。目指せ1万歩!

川を越え、ランチ時に列を作る人を横目にスタスタと歩いていく。ラーメン屋が人気だね。
大通りに出てデパートに入る。
んー、なんとなく人が多くて落ち着かない。方向を変えて伊東屋に向かう。

お香典返しにメッセージを同封したい(相手もいる)。一筆箋でも買うか。
有楽町で仕事をしていた時には、額の注文、クリスマスカードの注文、ステイショナリー好きの米国人を案内するなど、お世話になったなぁ。リノベーションして当時の雰囲気は残っているような、ないような。
クリスマスカードも出していなかったから、お雛様のカードでも買うか。しかし、ピンクの色が濃~いカードが多くて手に取る気にもならない。

散々迷ったあげく、母が好きかなと小さな花柄の一筆箋と封筒を購入して店を出る。13時。

まだ13時なんだ。このまま東京駅まで歩いて帰るかと思ったけど、時間はあるんだからと日本橋方面に向かう。
私が日本橋で働いていたのは1980年代後半のこと。新しいビルが増えたけれど、丸善と高島屋(足を延ばせば三越も)は変わらない。
でも、なんというか、あの頃の、なんだか妙に浮かれた雰囲気は一切ない。

やけに照明が暗い、新しい高島屋のレストラン街でお蕎麦を頂いた。まぁまぁ。さて、14時。帰るか。

京橋の明治屋に寄り道をしてエコバッグを購入する。マチがしっかりあるエコバッグがお惣菜やお弁当を買うときには使いやすい。あー、でも、そういう贅沢はしてられないね。
うっかりしていたら、東京駅の神田寄りに出てしまった。
八重洲のみずほ銀行がなくなっていたように思うのは気のせい?
駅構内も久しぶりすぎて緊張する。こぎれいなお店が通路に並んでいた。
電車は遅延だと。気にしない。時間はある。

3時前に地元駅の2つ手前で降りて、駅ビルで日用品と夕飯を買う。青魚が食べたいなと鯵の叩きを買ったが、これ、ひとりで食べきれるの?(食べた)。まだ4時。外は明るい。日が伸びたな。

不思議な気持ちだ。母がいた時は、月曜から金曜日まで毎日予定が詰まっていた。母の予定ではあるが。訪問介護、デイサービス、訪問リハビリ、デイサービス、訪問介護、訪問リハビリ。それ以外にも病院やらなんやらと忙しかった。

デイサービスに行っても3時過ぎに母は帰ってくる。病院帰りに食事をしている間も買い物をしている間も時間を気にしていた。ゆっくりするとか、迷って買い物をするってことはできなかった。

ほんと、することがなくなったんだな。自由な時間、100%私だけの時間だというのに、落ち着かない。
これが、心にポッカリ穴が開いたというのだろうか。
きっと、違う。



 

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domingo, 15 de janeiro de 2023

65歳からの初めての一人暮らし

母が亡くなって、一人っ子、配偶者なし、子供なしの私は一人になった。
ひとりで暮らすことになった。しかも65歳になって初めての一人暮らしである。

驚く人もいるかもしれないが、独身の人が増加していて、その人たちの実家が東京のような都市部にあれば、珍しくないような気もする。どうなんだろうか。

「寂しいでしょう」とよく言われるが、今のところ、それほどの実感はない。
以前に母が入院した2か月間、ひとりで生活したので、3か月目に入ったら寂しいと思うのだろうか。

今はむしろ、暇だなぁと思う。介護が始まり、もともと在宅で仕事をしていたこともあり、介護に専念していたのだから、世話をする人がいなくなってしまって妙な感じだ。

と言いながらも、普通にダラダラと過ごしている。
このままでは、「ボケますわよ…」という声もどこからとなく聞こえてくる高齢者である。

 

 

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