quinta-feira, 13 de fevereiro de 2025

消えた理想の老後

記事を書いていた途中だったのに、windowsが勝手に更新を初めて消えてしまった。

最初のタイトルは「理想の老後」であった。内容は、理想の老後を夢想していたけれど、違う!自分はすでに老後に入っているので、現実的には、今さら何かを計画するわけにもいかず、走りながら考える老後だなぁとか、問題は健康とお金よねーなどと書いていた。だが、ネットの闇に消えてしまった。

皮肉な話ではある。「理想の老後」の記事は消えた。現実社会でも「理想の老後」は消えてしまっていたのだから。

歳をとったら、海外旅行をしたいとか、年金で暮らせる国に行くとか、そんなことを夢見ていたこともあった。

しかし、貧困レベル以下の年金で少ない貯金を食いつぶしている生活、さらには、円安。旅行なんて夢の夢だ。できることがあるとしたら、後先考えずに行動してしまうことぐらいだね。

20代のころは、翌年自分が何をしているのか分からないというのがすごく楽しかった。いいことばかりを考えいたのかもしれないけれど、悪いことも含めて、まだ先があると思っていたからだろうな。近い将来するであろう生活が楽しみだったのだ。

ところが、今、人生は終わりに向かってカウントダウンなのだ。しかも、終わりはいつ来るのか分からない。生きている限り、赤子であろうと若者であろうと中年であろうと、いつ終わりが来るのかは等しく分からないのだが、歳をとると。より現実的に感じられる。ラストスパートだとか、下り一直線という感じである。

それで、急に残りの日々を思いっきり生きよう!とか、お金に困らないで生活したい!とか、急に考え出したりしているわけで、これは、調子がいいっちゃ、調子がいい話だ。毎日、毎時間、毎分、毎秒の積み重ねが人生なのにね。残り僅かの人生になったからといって、急に人生を考えるなんて、今まで何をしていたんだということだ。でも、これからの人生を考えてしまう。どう生きよう。

生きている限りは、住むところだったり、お金が必要だったり、一人で生活できなくなればサポートが必要だったりする。現実的にはそういう諸問題はある。でも、そればかり考えていてもむなしい。楽しくない。

何か大きな目標とか、夢があればなぁ。定年退職後にまったく違う仕事にチャレンジした人の話をチラリと見たが、ひとつの理想形かもしれない。まずチャレンジしたいことがあるというのがすごい。これまでの人生でその方向性を見つけたわけだから。

2025年、67歳をどう生きようか。

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quarta-feira, 13 de novembro de 2024

ジーコ引退30周年

なぜ、インファイトはあんなに少なかったのかな。

レオとジーコ、鈴木さんの元気な姿が見られたことは非常に嬉しかったけれど、

なぜ?という気持ちが抜けなかった。

ZICO SPIRITという大きな旗を広げるなら、ジーコに対する気持ちをセレモニーで見せるべきではなかったのかしらね…。

たまたま、皆さん、トイレにでも行っていたのかしら。

ということは、別にして、30年かー。引退の式典があった試合だっけ?ジーコカーニバルには確か、抽選に外れて行けなかった。

この30年、私は何をしていたのかしら。歳取ったのは確かだ。

まさにサッカーと共に過ごし、鹿島アントラーズを応援して過ごしたんだわね。

「私の30年史 鹿島とともに」とか書きましょうか。

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虎に翼

『あまちゃん』以来初めて、朝ドラを観続けた。もっとも、リアルタイムで見ず、NHKプラスで観たので朝ドラとは言えない。午前10時の朝ドラ…。

ドラマの始まりは昭和の初めなのに、とらちゃんが思う疑問「はて」がことごとく、昭和30年代40年代に私が思っていたことなのよね。

「結婚が女の幸せとは思えない」とか「女が無能力者って!」とか、もう、キリがない。

でも、このドラマを観ていた人の多くが今に続いている問題だとして捉えていた。

女性の地位や権利のこと、家族のこと、男性の立場など、少しはいい方向に変化してる。参政権とか教育の機会平等だとか、大きな進歩もあった。

だけど、それこそ「100年先」の2024年にもなってけれど、家父長制を支持する人たちがいるというのは何なんだろう。

私は何をしてきたのかな。「女の子だから」「女だから」と足かせをはめられることに反発し、「女の子だって男の子と同じだ。人間なんだから、感じることも考えることもある。意見はある。それを言って何が悪い!?」と思っていた。

ウーマンリブについて授業で発表したのは、何歳だったんだろう。高校生? まぁ、怖い人と思われましたね、当時としては当然だった。しかし、今はフェミニストを名乗ることで怖い女認定みたいなわけで、どうなってるんだろう。

しかし、ドラマを観ているときに感想を書くべきだった。感情も忘れていくというか、薄くなるというか。書きたいことはいっぱいあったのになぁ。思い出したら、マメに書こうかな。

 

 

 

 

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domingo, 15 de setembro de 2024

長い夏、イラつく夏

気が付けばというか、知ってはいるのだが、長い夏だー暑いーと言っているうちに9月も半ばとなってしまった。

季節感というのは、半世紀以上も生きていれば身に付いてしまっているので、つらい。夏は好きでもこんなに暑くて長い夏は嫌だ。
あー、そもそも夏が好きだと思っていたのは、夏休みがあったからで、大人になってからは好きではなかったかもしれない。

しかし、連日30度超えの中でも、太陽は正直なもので日はどんどんと短くなり、近々には、「秋の日は釣瓶落とし」とか言っちゃうんだな。つるべってこんな漢字でいいのか。

最近というか、ほとんど更新していないこのブログは、「65歳からの初めての一人暮らし」ということで書き綴っているのだが、行き当たりばったりで生きてきた私の人生で、大きな決断を迫られる日が近いということが分かった。

お金だ。お金がない。

年金で暮らしていけないし赤字なのは承知していて、友人などには「年金で生活できるわけないじゃーん。赤字だよ赤字」と、そんなこと威張ってどうする?という勢いで話していた。赤字なのだから貯金がどんどん減る。「あったり前田のクラッカー」と小学生の私がニヤニヤと前期高齢者の私を見ている。参ったねぇ。少しは真面目に計算してみるかとエクセルを開いた。あー、計算式忘れた…。ネットで調べる…。間違ってるかも…。怪しい…。電卓で確認する…というバカなことをしながら、わが人生の行く末を試算してみた。

10年も持たない。ギリギリ健康寿命というところまで行けるか怪しい。そもそも、健康寿命が過ぎたらパタリと活動量が減るわけでもないし、趣味にかける分以上に医療費にかかるかもしれない。老後資金2000万円で足りるはウソ。というか、私のケース(女性、独身、勤め人からフリーランス)の年金では生きていけないのだと漠然と思っていたことが、両手で張り倒されんばかりの勢いで迫ってくる。

年金って社会保障の一環ではなかっただろうか。私以上に少ない人もたくさんいる。生活できない支給額というのは、いったい何?何?何? これは社会保障ではない。政府に詰め寄りたい。

さらに、介護保険料も国保料も上がっている。固定資産税も上がっている。物価も上がっている。医療費の自己負担率が上がるという話も聞く。政府は我々を破滅に追いやろうとしているのだと確信しちゃうよ。

私の世代以降は、年金が少ないことが周知徹底されてか、自己責任でどうにかしろ的なお金を貯める手段を提示され、あたかもそれで老後資金を貯めるのが正しいかのような雰囲気になっている。それは違うよ。貯めたお金でクルーズ船に乗って世界一周旅行をするとか、F1のレースを追っかけて世界中を回るとか、高額な美術品を買うとかなら、いい。老後の生活費に使うというのはおかしい。そもそも、安くない保険料を払ってきたのだ。きているのだ。そのお金は老後の生活を保障するものだ。政府のお金の使い方が間違っている。今ならまだ方向転換できるように思うが…。 

おかしいと声を上げるべきなんだ。お国に言われるままでは、都合よくあしらわれるだけだ。

とイライラとしつつも、迫りくる破産を逃れるためには、住み慣れた我が家を売るしかない。売る家があって良かった。ありがとう、お父さん、お母さん!

という話の続きはまた!

 

 

 

 

 

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segunda-feira, 20 de maio de 2024

久々の旅行

一昨日、5泊6日の旅行から帰宅した。
久しぶり過ぎて、準備段階から「昨今の旅行事情」に付いていくのに
大わらわというところはあったけど、旅行熱が上がりそうではある。

まずは費用がどれぐらいかかったかということを計算してからだけど、また、旅に出たい気持ちになった。

あとで書き直すとして、忘れてしまう前のメモ。

*初めて訪れた福山、前に行ったけど忘れている尾道、人が少なすぎて過疎なんだろうけど、町の人たちはフレンドリーで親切だった。

*はやりの昭和レトロとは、いったい何なのか。私の目には、打ち捨てられた、取り残された、古くさいものに見えてしまう。戦後、自分の知っている時代だと、「あー、こんな感じだった」と思うものの、かわいい!とか美しいとは思えない。もう少し綺麗に保存できないのかなとか、住みづらいだろうなとか、思ってしまう。

*それが、戦前のものだと、美しいと感じたりするわけで、昭和は長いんだよ! ひとくくりにしていいのか。

*今の若い人たちが戦後の家や文化を「知らない時代のものとして美しい」と感じているなら、ちゃんと「昭和の文化地区」として保存すべきだと思う。今のままでは、単なるブームで終わり、いずれ廃墟になる。

*広島だけではなく、呉に行けてよかった。日本はなぜ戦争に向かって走り、原爆投下を生んだのか。簡単な話ではないけれど、考えるきっかけにしたい。軍人という職業、政治家という職業に就いている人だけではなく、市民全体を巻き込んでしまうのが戦争だ。将来があった若者の命を奪ってしまった。普通に暮らしている人たちの生活が破壊された。戦争に向かっていく流れをなぜ止められなかったのか。

*サンフレッチェ広島にとって、悲願だったスタジアム。他サポの一人として、何度も頓挫するから、もう無理ではないのかと思ったこともあった。それが、あんなに素晴らしいスタジアムが完成してチケットは完売。おめでとう!だよ。お土産に勝ち点もくれたし。

*広島も福岡も大都会だけど、東京ほどではない都会の良さがあるように思った。にぎわっているけれど、混雑しすぎていない。だから、活気を感じる。東京ほど広範囲にわたって人が集中している都市は世界中探してもないのでは? いくつダウンタウンがあるんだ?と言った米国人がいたわね…。

*体力的には1日2万歩はいける感じだけど、睡眠時間がもう少し欲しかった。夜ごはんを外で食べて帰ってくるとやはり遅くなる。

*4日目ぐらいで外食に飽きた。でも、その土地のおいしいものは食べたいというジレンマ!

*博物館で「読む」ものはネットで事前に読めないものだろうか。現地ですべてを読んでいくと時間がかかるし、その分、疲れて最後のほうがいい加減になってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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terça-feira, 26 de março de 2024

映画の感想『Perfect Days』

感動しなかった。
でも、事前に映画の出資者やこの映画が作られた動機を知らなければ、違う感想は抱いたかもしれない。

平山はお抱え運転手付きの車で訪ねてくる妹がいるぐらいなので、
お金に不自由はしない家の息子だということが映画から伝わってくる。

職業選択の余地がなくてトイレの清掃員をしているわけではない。そのことを監督は隠していない。
しかし、平山があのような暮らしをするようになった理由や原因については語られていない。

映像から分かるのは、仕事の量が急に増えるとイラっとしたとしても、
平山は生活に満足していることだ。毎日、毎週、決まったことを几帳面にこなして日々、生きている。
趣味がないわけでもなく、人との交わりがいっさいないわけでもない。
ちょっと気を寄せている女性もいる。味気ない生活というのではない。

実際に、平山は私っぽくもある。
平山の生活が自己満足によって充実しているところだ。

私が気持ちよく生活している時は、平山のように空を見上げている。
写真を撮っては、だれに見せるわけでもなく、なかなかいい写真だとか失敗だとか思ってる。
街の中を歩き回って、ほんの小さなことで喜びを感じて満足する。

何かを成し遂げようとか、人を幸せにしようとか役に立ちたいとか、そんな気持ちは1ミリもないし、
それを持たないことに負い目もない。年を重ねたからということはあるだろう。

だからと言って、平山に共感できるわけではない。むしろ、なんとなく居心地の悪さを感じていた。

なぜなら、この映画を絶賛することで、平山とは違って選択の余地なくトイレ清掃や人のやりたがらない仕事をする人たちや社会に貧しいままでもいいじゃないかという考えを押し付けたり、「こうやって小さな幸せを見つけて暮らせばいいんだよ」と思わせてはいないだろうか。そういう風潮が世の中に作り出されることが怖い。

作家の川上未映子さんの言葉を引用する。

「これは、若い人たちのこれからに通じる問題(注:あの暮らしの描かれ方をどう捉えるのか、というのはとても難しい問題だと思います。いっぽうで、彼が責任を負うのは自分の生活だけでもあります)でもありますよね。今はもう、他人の人生にかかわることじたいが贅沢というか気が知れないというか、自分ひとりが生存するだけで精一杯で、他人の責任を負うことなんてできるわけがないと感じている若い人たちが本当に多い。持てる人たちが「平山さんの生活は、静かで満たされていて美しくて素晴らしい」というのは、そりゃ彼らは豊かな観察者だからそれはそう思うでしょうけれど、肉体労働をしていたり、相談できる人が誰もいないというような若い人たちがこの映画を観てどんな感想を持つのか、非常に興味があります」

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terça-feira, 27 de fevereiro de 2024

稲垣えみ子著『家事か地獄か』と私の暮らし その2

掃除洗濯料理が家事である。つまり稲垣氏のいう「自分の世話は自分でする」である。

誰もが自分のことは自分でするということが案外、できていないのが今の世の中ではないだろうか。私の周囲には定年退職した夫が家にいるという家庭が増えているが、夫さんたちは、まず家事をしていない。

「結婚退職」や「男子厨房に入るべからず」「良妻賢母」などという考えが残っていた世代だ。大半の人は1980年代に結婚をしている。仕方がないのかなとも思う。今からでも遅くないから家事をしたらとは思うが…。

親と子という関係においては、自分の世話を見られない「子」は都心部に多いのではないだろうか。実家にいて大学進学や就職ができるからである。家を出る必要がない。これは世代は関係ない。昭和生まれの子、私もその一人だった。

母がやっているんだから、私は手を出さない。あそこは母の領域とか思いながら、介護生活が始まるまで掃除洗濯料理は9割(1割は自分の部屋の掃除)行っていなかった。母もたまに文句を言うことはあったが、私の食事を作らないとか洗濯ものを放置しておくということは一度もなかった。この話を母親をやっている友人たちに話すと「ついでだしね」「やってしまったほうが早い」「そのほうが経済的」と言う。そして、母親たちは子供たちの世話をやき続けるのである。

こうして、自分の世話ができない大人が増えていく。

家事をすることは自立である。少なくとも自立への一歩だ。今の私はそう思える。自立とは自分の生活を自分で決められる自由だ。高齢になれば、病気やケガのリスクも高まる。どうしても自分の世話ができなくなる日もくるだろう。そうなった時には、自由が著しく損なわれる。私は自由でいたい。だから、本当に今さらだけど、自分の世話を頑張って(!)していこうと思う。

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segunda-feira, 12 de fevereiro de 2024

稲垣えみ子著『家事か地獄か』と私の暮らし

私より7歳年下の著者が実践している生活について記した本。基本的に今流行のミニマリストの生活本と言えるだろうけど、副題に『最後まですっくと生き抜く唯一の選択』とあるように、まだ現役世代の著者が高齢化していく先を見据えた本でもある。

著者がやってきたことすべてが万人に向いているわけではないけれど、読んでいてはっとすることも多々あった。

物が多すぎるから片付かない。便利だと思って(企業にそそのかされて便利だと思い込んで)購入しづづけていると物は増える一方である。

これは、自分の家を片付けていて痛切したことでもある。なぜ、こんなに洋服があるのか。見た記憶がないものが押し入れの奥から出てくる。そして、それらを整理整頓するため、または使い勝手よくするためにはどうしたらいいのかとネットで検索をすると、新しい何かを買う羽目になる。これでは、片付けているようで片付けていないなとは思う。プラ製品を増やしているだけである。

著者は大きなマンションから小さなマンションに引っ越したことを契機に物を捨てまくった。これは、物を捨てるためにはベストな方法である。なぜなら、置き場所があれば片付けてもまた増えるし、私の場合、部屋が空いているんだから、いいんじゃないかなと思い始めている。しかし、これが進むとゴミ屋敷になる。

この一年で、両隣の家に入る機会があった。それぞれ、90歳間近の夫妻と80代半ばの女性が住んでいる。かなりの衝撃であった。ゴミ屋敷とまでは言わないが、床が見えないほど物が片付けられていない。これでは、しょっちゅう物を失くすわけである。使っていない部屋に物をどんどん入れていく。この辺いったいは同じ建売住宅なので、建材は同じだし、間取りも似ている。将来の我が家を見たようで、なんとも言えない気持ちになった。

高齢になっての断捨離は身の回りの整理というか、死後に恥ずかしくないように、または子供たちに迷惑をかけないようにという気持ちですることが多いと思う。しかし、本当は今生きている自分がどう暮らしたいかということを考えなければならない。そこがスタートである。著者は有名なこんまりさんの片付け本の神髄は「心がトキメク…」ではなく、「自分が目指す理想の暮らし」を強く、かつ具体的にイメージすることが重要であるの部分だと言う。

確かに、ぼっとした気持ちでやっているから片付かないのだ。生活とは生き方なのだから考えなければならない。

つづく

 

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domingo, 4 de fevereiro de 2024

一年過ぎた

ひとり人暮らしも一年が過ぎた。

ひとりで生活して、というか、仕事もなく世話をする相手もない生活をしたことで、
自分が規則正しく生活するのが苦手だとよく分かった。

ていねいな暮らしをしている人は、朝7時に起きて散歩、朝食後は家事、その後は趣味の時間、
お昼を食べてお買い物とか外出、6時に夕食を食べてお風呂に入って10時に寝るとか書いているのをよく読むけど、私には無理無理!

一時期、8時ぐらいに散歩をしたことはあったが、暑くなって、なんとなく終わってしまった。

10月以降は、ジャズダンスを週に1回行くことにして、規則正しさを入れてみたが、
午前中に用事がない限りは、よく寝る。ちなみに、今日は9時間ぐらい寝た。
一度、目が覚めたのが8時なんだから、そこで起きればいいのに、また、気持ちよく寝てしまった。

そして、出ていくお金。
ものすごく贅沢をしているわけではないが、出好きな私は、やはり、ちょこちょことお金がかかる。
ちりも積もれば小山ぐらいになって財政を逼迫する。
この問題については、働けば?ということになるが、
現在66歳、友人曰く、働いている場合ではない!
そう。残り少ないであろう、健康、元気でいる時間をあくせくと働いて過ごすのか。
そんなのは嫌だ。
なのに、働かなければ暮らしていけなくなるというのは社会の問題だ。

まぁ、持っている人には関係ないことだろうけれど、
高齢女性の貧困と紙一重である。たぶん。

まぁ、とりあえず、なんとか生活した。

さて、2年目はどうなることか。

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quarta-feira, 6 de dezembro de 2023

その2

その1で終わっていた。しかし、今、見るまで忘れていた。恐ろしい!

とりあえず、続きを書こう。

この日の血圧について友人たちに話したら、もれなく大爆笑になったので、皆様の健康のためにはいい話だった。笑う門には福来る。

測り直しても大して血圧は下がらず。看護師さんもいるのでボチボチやりましょうということになった。

何しろ早く着いたので体力測定の開始まで時間がある。視界にハセさんが入る状況では落ち着かないなぁと思っていたら、なんと、「始まる前にサインしますよ」とハセさんが来たーー! 超慌てる私。リュックから物をボタボタ落としながら、写真が張り付いた紙を取り出す。

「懐かしいなぁ」と言いながら、写真を見るハセさん。

「今と違ってかっこいいハセさんだ」とスタッフの方々。

「いや、今もかっこいいです!」と口をはさむ高齢者。それは私。

どれか一枚にサインをしてもらえればと思っていたのだが、なんと、全部の写真に丁寧にサインを入れてくれた。驚いたぁ。

さらに、気の利くスタッフの方が「ツーショットを撮りましょう。スマホありますか」と。
身に余る光栄でございました。大昔、キックオフパーティで写真を撮ったことがある。並べると年月を感じそうなのでまだ見てない。

体力測定の詳細については省略。歩行年齢の計測があり、その結果がこれまたびっくり仰天だったのだが、書きたくない。とりあえず、今はふくらはぎ、足の指を意識して歩くようにしている。

ハセさんはタオルを使った準備体操では見本を見せてくれたり、測定機器の調整をしたりと、テーブルを動かしたりと、元選手であれ、スタッフの一員として真面目に働いていらした。

鹿島アントラーズを応援してきて、ミーハー路線の私だけど、長く続けているといいことがあるってことだね。時間があっという間に過ぎて30年という感じではありますが。

 

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