segunda-feira, 15 de maio de 2023

特急に乗る

また、ノートからの書き写し。

5月11日

旅に出る。水戸まで。日帰りで。

水戸は1時間ちょっとで行けるのだから、鹿島より時間的には近い。
でも、鹿島行きと違って旅だと感じる。
特急券を買って指定席に乗ったせいかな。

ガタゴトガタゴト。

車内販売はないと思っていたけど、ある!
嬉しいなぁ。コーヒーを買おう。

近頃は車掌さんの乗車券チェックがない。これは旅情が薄れる。

かつては、車掌さんの姿が見えたら、自分の番が来たときに
慌てず、乗車券と特急券を出せるようにバッグの中を
ゴソゴソやってチケットを手に待っていたものだ。

車掌さんは乗車券を確認して「〇〇までですね」と一言二言話しながら、
券に穴をあける。それとも、ハンコだったかしら…。
乗車券か特急券を購入していなかったときは、
駅名がびっしり印刷された縦長の紙を出して、
ポチポチと駅名に穴をあけてお金を回収していく。

あー、懐かしい。

あ、車内販売が来た。物静かだ。
名物の〇〇をお土産にいかがでしょうか、
ビールにコーヒー、アイスクリームとか言ってない。
コロナのせい?

楽しみにしていたコーヒーも缶しかなかったので買わなかった。

しかし、この特急はけっこう揺れるな。
酔いそうだから、書くのは、ここで止めておく。

 

 

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似た人

PCを開けるのが面倒でノートに書いていた。書き写す。

4月28日

時々、街で父に似た人をみかける。
亡くなって丸5年半近くたったのだから、
本当は全然似ていないのかもしれない。

似ている人は、背が低くて白髪。眉だけが黒い。
丸い顔に眼鏡をかけている。
ちょっと不機嫌そうだ。

「似ている。本人だったらいいのに」と愚にもつかぬことを思う。

骨になって小平霊園でその他大勢の人たちと一緒になったのではなく、
実は生きていました、ちゃんちゃん!なーんて。

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domingo, 23 de abril de 2023

夢と現実

65歳にとっての夢とは?

10年ぐらい前には、親が死んで「天涯孤独」になったら、フラフラと海外旅行でもするかと思っていた。年金の支給額や自分の貯金額のことなど考えていなかったから、これは夢想だ。いや、まったく経済的なことを考えていなかったわけではない。よく「私に老後はない」と言っていたし、ずっと翻訳の仕事を続けるつもりだった。ただし、親の介護という現実を考慮していなかった。

母の介護が必要になり始めた60歳ぐらいから、タイムングを合わせたように仕事量が減り出した。フリーランスだから本来は、営業をして新たな仕事を探すべきだったのだが、年々、親の介護度は進み、仕事に集中できなくなり、「翻訳の仕事をしてます」とは言えない状態になり、今を迎えているわけだ。

そして、現在、65歳。正直言って、もうひと踏ん張りして、翻訳にしろ、ほかの仕事にしろ、ものすごくやりたいのかと言えば、即答でYES!とは言えない。仕事を中断したことで、働くという状態に自分を置ける自信がなくなったし、世に言われている健康寿命の75歳まで10年しかないのである。元気なうちにしたいことは仕事ではない気がする。65歳という現在地からどこを見て生きるのかな。

朝起きて、今日も元気に目が覚めました。夜は、今日一日、優しい気持ちで過ごせましたと眠る日々を重ねていくのだろうか。

それとも、75歳までにアレコレを成し遂げたいと思うのだろうか。アレコレって何?だけど。そういう意味では、したいことが分からない15歳から変わってない。すごい結論だな、こりゃ。

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選挙

母が通っていた、運動やリハビリをする通所サービスで一緒だった人から昨晩、電話があった。

お母さんはお元気ですか~から始まったので、そうだ、亡くなるちょっと前にこのサービスに通うのを止めていたのだと思い出し、亡くなったことをお伝えしていなかった非礼を詫びつつ、ご機嫌伺いの電話だろうかと思っていたら…

「あなた、選挙、お知り合いとか?」

意味が分からず聞き直すと、「選挙では誰かに頼まれて投票する人は決まっているのか?」ということなのだ。

考えてみれば、母もそうだった。近所の人に頼まれた立候補者に投票していた。そんなので選ぶってあり?と常々思っていたが、この年代の人にとっては、よくある話なんだろう。私なら学級委員の選挙だって頼まれたから投票するなんてことはないぞ!と思っていた。

すでに投票は済ませていたので、「期日前に行って投票しました」と告げた。

「あら、残念だわ。私も期日前に行ったけど、今回、混戦なのよね。候補者が多くて。4期続けている人なんだけどまだ様子が見えないそうよ」

とご説明があった。そして、「お母さん、おいくつでした?」と話が戻る。
「90歳でした」
「それじゃぁ、まぁ、仕方がないわよね。私はいくつだと思う?」

母より上だったのは覚えていたので「94歳ぐらいですか?」と聞くと、

「98歳」

スマホユーザーで朝はラジオで語学番組を片っ端から視聴しているという話は聞いていたが、選挙運動で電話してくるとは!降参です。

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domingo, 16 de abril de 2023

ただいま、カシマスタジアム!

2018年以来のカシマスタジアムは、意味深い観戦になってしまった。

「なってしまった」というのも変だけど、カシマスタジアムにおける5失点は1995年エドゥーの時代のヴェルディ戦以来2度目だというし、試合後に鈴木優磨とゴール裏のやりとりという、史上初の出来事もあった。試合開始前には予想もしていなかったことが起きた。

失点に関しては、「5点取られるかも」と前半終了時で言ってしまった私が悪いのかもしれない。言霊…。でも、それぐらいの差は明らかだった。気持ちよさそうにプレーをしている神戸に対して、なんというか、プレーは遅いし、ごちゃごちゃしているし、自信なさげだし、鹿島はダメだった。いったい何をどうしたらいいんだ?と頭を悩ましても私が解決をすることはできないので、とりあえず考えないようにしよう。

でも、こういうことで頭を悩ましたり、がっかりしたり、腹を立てたりできるっていうのは幸せなことでもある。戦争をしているとか、飢餓に陥っているとか、交通費が出せないとか、そういう環境にはなってない。そして、何より鹿島アントラーズが存在していて、カシマスタジアムが5シーズン前と同様にあそこにあったのだ。興味がない人から見たら、くだらないことであーでもない、こうでもないと言ってられるのは、鹿島があってこそだ。ありがたい。

本当は、カシマスタジアム行きの直行バスにどれほど緊張して乗って、緊張したのに、いつもどおり爆睡したとか、歩道橋から見えたスタジアムが感動的だったとか、QRコード入場でモタモタしたとか、しらす丼が変わらずおいしかったとか、友だちに会えてうれしかったとか、久しぶりの鹿島体験を書くつもりだったのになぁ~。

日常生活が戻ってきた!

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quarta-feira, 5 de abril de 2023

感想文:乗代雄介著『旅する練習』

サッカー好きの小学6年生、亜美(あび)と作家である亜美のおじが、春休みに鹿嶋を目指して歩く話と聞けば読まずにはいられない!と買ったはいいけれど、ずっと積読になっていた。病院の診察待ちで読む本に重さが軽い本はないかと探して積読の山から取り出した。

中学に入ってもサッカーを続ける亜美はリフティングやドリブル、時にはおじさんとパス交換などサッカーの練習をしながら旅をする。おじさんは風景を書くという練習をするという設定で話が進んでいく。

私が鹿嶋に行くときは東京から高速バスで行くので、この二人が歩く道は最後の鹿島神宮のところ以外はまったく知らない。おじさんの風景描写を頼りに想像力を働かせながら読み進めていたけれど、なかなか厳しい。想像力が足りない。この先、読み続けて鹿嶋にたどり着けるのだろうかと不安になり始めたが、第三の登場人物、みどりさんが旅に加わって、俄然、面白くなった。

亜美はほんの短い時間、みどりさんの姿を見ただけで鹿島のサポーターだと気が付く。リュックにぶらさがっていたキーホルダー、着ていたジャケットの色だ。これは、サッカーファンあるあるだ。町でふとすれ違った人の持ち物や服の色で応援しているチームがわかる。よくぞ、そういうことを書いてくれた!

みどりさんが鹿島のサポーターになったきっかけはジーコだ。その理由がみどりさんの口から語られるのだが、現役時代のプレーでも鹿島における功績でもない。テレビ画面越しに見た日常の何気ないふるまいである。その話がストンと腑に落ちた。なぜなら、私が鹿島ファンになったきっかけも似たようなものだったから。私の場合、試合中のしぐさなのでプレーと言えばプレーだが、ヴェルディ川崎(当時)戦の「つば吐き事件」とその後のジーコのふるまいだ。

サポーターになるきっかけは人それぞれだし、プレーや試合だけではない。ふとしたことから、その人やクラブへの興味が深まって、熱心なサポーターになる。だから、そういう話を小説で読むことができてうれしくなった。物語の中でジーコはみどりさんの人生に大きくかかわっていく。

「この人のこと知らなかったら、旅にも出てなかったし、二人にも会えなかった。それってすごく不思議なことでしょう」
(中略)
「大切なことに生きるのを合わせてみるよ、私も」

コロナ渦に書かれた小説であり、3年経った今、2020年春の空気を思い出させる話でもある。おそらく、この話の続きはない。でも、それぞれの3年後を知りたい気がする。

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sexta-feira, 24 de março de 2023

暇と退屈

「老人の1日は長く、一年は短い」と言うが、今のところ、私は「1日も1年も短い」と感じている。
老人の域には達していないということか。

母は自分で出歩けなくなってから、日々、退屈していた。そして、何よりデイサービスが「退屈」だと言っていた。スケジュールだけを見れば、到着後に検温だ血圧だとバイタルチェックして入浴、ベッドでひと休みしたり脳トレをして、昼食、昼食後はお習字、おやつの時間が終われば、帰る準備と大忙しだ。でも、退屈で仕方がなかった。暇はなかったかもしれないけど、生活が退屈だったんだろう。

85歳ぐらいまでは、毎日のように出歩いて、友だちに会ったり、麻雀をしたり、家にいるときは手芸をして、それこそ忙しく過ごしていた。退屈するのが嫌で何かしていたのかもしれない。特に人と話すのが好きだった。単なるおしゃべりだけど、楽しかったんだろうな。それが、家にいるようになって、私では話し相手にもならず、電話をする先方が認知症になったり、さらに、自分自身も発話も難しくなりつつなり…。

頑張って生きてきたのに、人生の最後がつらいってどういうことかな。
高齢になれば、母だけではなく、大変な思いをしている人は多い。そういうものなんだろうけど、気の持ちように退屈せずに過ごせるのだろうかしら。

 

 

 

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quarta-feira, 22 de março de 2023

趣味そして残されるモノモノモノ

母は手の人だった。手を常に動かして何かを作っている人だったから、私が横になって本(マンガ)を読んでいる姿は「何もしていない」と映ったらしく、よく「怠けていないで何かしなさい」と言われたものだ。

私が知る限り、母はフランス刺繍に始まって編み物、パッチワーク、ビーズという手芸に次から次に熱を上げていた。

手先が器用だったのだろう。父と私は母の趣味に関心を抱いたこともなく、「よく飽きもせずにするな」ぐらいな気持ちで見ていた。亡くなってしまった今は、どうしてあんなに夢中になってやっていたのか聞けば良かったと思う。「きれいだね」とか「すごいね」ぐらい声をかけてあげればよかったのに…。

刺繍は目が悪くなったから刺せないと言って止めたが、ド近眼の私からすれば、母は死ぬまで目が良かった。どうして辞めたのか知らないけど、作品を「残すもの」と「捨てるもの」に分けられる元気があるうちに止めていたので、ほとんど作品が残っていなかった。残っていたものも、適当に押し入れに放り込んであったから、シミや汚れがたくさんついていた。とりあえず、クリーニング屋さんに修復をお願いした。

編み物は、編みかけのものも含めてセーター、カーディガンが5枚ぐらい残っていた。素人目に見ても、すごく手が込んでいて、よくこんなのが編めたなと思う。気にいた一枚を残して、残りは母の妹である伯母に送った。伯母も手の人なので、毛糸をほどいて再利用するそうだ。

パッチワークは、完成品がなかった。家の中に完成品があったという記憶もあまりない。ハワイアンキルトの大作が作りかけのまま残されている。これは、どうしろと?

そして、ビーズのアクセサリー。母が元気だった時に残っていたビーズ作品を人に分けると言い出したので、母のお友だちや私の友人にかなりの数を引き取ってもらった。しかし、まだまだ残っている。思わず、このビーズにかけたお金で本物のジュエリーが買えたなと思ってしまった。指輪は小指にしか入らないぐらいに細い。ペンダントやネックレスはステージ衣装になりそうなぐらい派手だ。

もうこれ以上は出てこないと思うが、自分が死んだあとも残る趣味として手芸は悪くない。気に入った人が使えばいいし、再利用もできる。

そういう意味では、私の趣味だった写真は箸にも棒にもかからない。芸術家かぶれでワザとぶらして撮った写真は意味不明だし、風景写真(自分でもどこで撮ったか忘れている)はそれだけ…。そして、おびただしい数のサッカー選手の写真。最近のファンが撮っているような素晴らしい写真ではない。腕が悪いのもあるが、何よりカメラの性能が違うと言いたい。念のために言うと、データで残っているのではない。フィルム時代はもちろん、デジタルになってからもプリントしている。最悪なのは、同じ写真をL、KG、2L、なんなら四つ切とサイズを変えて何枚もプリントしていることだ。自己満足だけで成り立っている趣味!? 困ったもんだ。

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terça-feira, 14 de março de 2023

パソコン

https://twitter.com/yonakiishi/status/1634899244787331072?s=20

ライターの鈴木智彦さんがツイートしていた「毎回毎回、そしておそらく死ぬまで、パソコンにかかずらう時間と手間が膨大すぎる。覚えることが多すぎる。有料で指南してもらったほうがストレスがないのでは。」に同意する。特に今、私はWindows8のPCから11へ移行中なので、身に染みる言葉だ。古いPCからデータを移行しようとしているのに、こういう時に限って、メーラーが動かなくなり、プリンターが「データ処理中」のままでウンともスンとも言わなくなったりする。頭が痛すぎる。プリンターは電源を切ってしばらく放置していたら動き出したが、ネットで解決方法を探ったりとどれだけの時間を費やしたことか! メーラーにいたっては、調べても解決しないのでそのまま放置している。この際、過去は捨てて新しい人間関係を作れってこと? まぁ、スマホのデーターとアドレス帳で何とかなるだろうけど。

1995年当時、私は二回り近く年上の上司と2人事務所で働いていた。阪神大震災でパソコンが役に立ったということを知り、「これからはワープロではなくてパソコンらしいですよ」と上司に掛け合い、IBMのパソコンを100万円以上かけて購入してもらった。正直に言って、パソコンが何か分かっていなかった。当然だが、使い方がわからない。聞ける相手もいない。そんな状況でスタートした私のPCライフも丸28年になるから、よく頑張っていると思う。本当に孤独な、一人空回りの闘いだ。もちろん、友人や本に助けてもらっているし、その力は大きい。でも、一時期、IT系の会社で、短期間だけ働いたときには、質問すればすぐに答えてくれる人が近くにいるって素晴らしいと思った。ノートPCの画面が小さくて目が疲れるといえば、さっさと大きなモニターを2つもつないでくれた。天国だったなぁと思う。

現在、PCは100万円するわけじゃないし、スマホのほうが高いぐらいだ。それでも、なぜ、お金を払ってこんなに面倒な思いをしなくてはならないんだろう。もうちょっと簡単に使えないものかしらね。冷蔵庫はえらい。電源をつなぐだけで快適な生活をもたらしてくれる。ドアを開けたり閉めたりするだけだ。あ、もしかして、今どきの冷蔵庫は設定が必要だったりするんだろうか。うちの冷蔵庫は2001年製。買い替えるときが怖くなってきた。

 

 

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quarta-feira, 15 de fevereiro de 2023

コレが欲しい!

家の近くの100均に行った時のこと。

3歳ぐらいの子が地面に這いつくばるようにしてというか、しゃがんで、棚の一番下にある何かを掴んで母親に、これが欲しい!と訴えていた。まだちゃんと話せていないけれど、全身から「わたしは、コレがいいの!」と表現している。レジを済ませていた母親は子供の言うことは聞いているけれど買ってあげるつもりはないらしい。それでも、何かを握りしめて粘る子ども!

その日、私はウィリアム・モリスのデザインを使った箱やクリアファイルやラッピングペーパーが100円で売っているとツイッターで見かけて、それ目当てに100均に行ったわけだが、私と3歳の子の共通点を発見した。「これが欲しい」という物欲だ。高齢者と言われる年齢の私もこの世に生まれ落ちてまだ3年ぐらいの、ロクに話もできない子どもも「これが欲しい」というツヨい気持ちを持っている。

私は何歳から物欲にまみれているのだろうか。物欲は何がきっかけで生まれるのだろうか。なぜ、こんなにもモノを欲するのだろうか。石器時代に物欲はあったのか。次から次に疑問が湧いてきた。初めて心の底から欲しいと思ったのは何かは覚えていないが、母に「言い出したらきかない」とか「しつこいわねー」とか言われた記憶はある。他人に比べて特段に物欲が強いとは思わないし、家計を破綻させてまで物を買ったことはないけど、100円のものから数10万円(かわいい金額だ!)のものまで、今も欲しいものが10個ぐらいはある。

人の物欲はいくつになったら枯れるのかしら。枯れないのが元気の素かもしれんし…。

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